南京事件

「支那事変紀念写真帖」表紙から南京追撃戦まで
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最終更新日:2017/09/09 10:28

まず紀念写真帖をペ-ジごとに何回かに分けて掲載します。

古いため製本の糸が解けた為、最後の個人写真は順序が狂っているかもしれません。

◎写真帖のサイズは巾31センチ×高さ21センチ×厚み2.5センチ

◎古いため製本はボロボロになっています。

 

↓◎表紙

下の部分のカタカナ「セト」「トカ」は右から読んで

「街道部隊」「東部72部隊」「東京」「世田谷」だと思われます。

南京戦写真アルバム 表紙

 次からは1ペ-ジごと全ペ-ジ掲載します

 

 ↓◎朝鮮の日本皇族から南京戦写真アルバム P1 

 

 ↓◎朝香宮鳩彦王上海派遣軍司令官(昭和天皇の叔父にあたる)から

      野戦銃砲兵第15連隊に対する感謝状南京戦写真アルバム P2 

 

↓◎軍司令官朝香宮鳩彦王南京戦写真アルバム P3 

 

 ↓◎上海、中支那派遣軍司令官南京戦写真アルバム P4 

 

 ↓◎初代街道連隊長以下歴代連隊長

メモに残された解説

初代連隊長  街道部隊長

2代目連隊長  澄田部隊長

3代目連隊長  堀川部隊長

4代目連隊長  湯野川部隊長

南京戦写真アルバム P5 

 

 ↓◎各大隊長

メモに残された解説

第1大隊長 菅野部隊長

編成第1日め、本日皆の命を貰ったと大隊長、

夜半大河のように我砲も乗り越え、南京城外の敵退路に当り、

溝に伏せ我々に踏みつけられても声を発せず

第2大隊長 白井部隊長

隊長はここに居るぞと拳銃片手に飛び廻っていた。

工科学校で本部付だった

第3大隊長 佐々木部隊長

第4大隊長 土橋部隊長

南京戦写真アルバム P6 

 

↓◎戦病没者

   ご遺族の方でこのアルバムを持っていらっしゃらない方がいるかと思います。

   偶然にもこのホ-ムペ-ジを見ていただければと思います。

南京戦写真アルバム P7 

 

↓◎戦病没者

南京戦写真アルバム P8 

 

↓◎戦病没者

南京戦写真アルバム P9 

 

 ↓◎戦病没者南京戦写真アルバム P10 

 

↓◎ここからは通常の記念写真が続きます。

南京戦写真アルバム P11 

 

↓◎右下の写真に、アルバム所持者「永井仁左右」が矢印で示されています。

メモには「揚子江大堤 武昌上流10K」と書かれています。

南京戦写真アルバム P12 

 

 

南京戦写真アルバム P13 

 

 ↓◎ここからは昭和12年9月20日~10月11日までの写真です。

  地図で行軍経路が示されています。

南京戦写真アルバム P14 

 

南京戦写真アルバム P15 

 

 南京戦写真アルバム P16 

 

南京戦写真アルバム P17 

 

南京戦写真アルバム P18 

 

南京戦写真アルバム P19 

 

南京戦写真アルバム P20 

 

 

  南京戦写真アルバム P21 

 

南京戦写真アルバム P22 

 

南京戦写真アルバム P23 

 

↓◎ここからが問題の南京戦に入ります。

 問題の写真がいくつか含まれます

 この時点ではまだ南京での虐殺については問題になっていませんでしたので

 堂々とアルバムに掲載したものと思われます

南京戦写真アルバム P24 

 

南京戦写真アルバム P25 

 

 

南京戦写真アルバム P26 

 

南京戦写真アルバム P27 

 

南京戦写真アルバム P28 

 

南京戦写真アルバム P29 

 

 ↓◎左下の写真

「昭和12年12月14日、仙鶴門鎮北方にて投降せる約八千の敵」とあります。  

多くの証言と一致します。  

この捕虜はこの連隊が捕虜にして、歩兵部隊に引き渡したものです。  

その後全員が殺害されています。

南京戦写真アルバム P30 

 

 ↓◎右下の写真

「仙鶴門鎮俘虜の一部」と書かれています。

上記投降兵と同じですが、人数は書かれていません。

しかし一部ですから相当の数です。

南京戦写真アルバム P31 

 

南京戦写真アルバム P32 

 

南京戦写真アルバム P32 

 

南京戦写真アルバム P33 

 

南京戦写真アルバム P34 

 

南京戦写真アルバム P35 

 

 南京戦写真アルバム P36 

 

南京戦写真アルバム P37 

 

 

 

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