南京事件

南京への戦争拡大 2
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最終更新日:2017/04/29 9:50

当時の日本国内では、まるで戦争ゲ-ムを楽しむように上海から南京への進撃に浮かれていました。

提灯行列を準備し南京城に日章旗が翻るのを心待ちにしていたのです。

新聞社をはじめとする報道関係も大量動員して先を争って国民の期待を煽る報道をしたのです。

例えば朝日新聞社関係が80人以上、大阪毎日新聞関係が70名以上を現地に派遣し

それらが連日、連戦連勝を煽ったのです。

現地の軍も同様に煽られて先へ先へと南京に突っ走ったのです。

●山田栴二少将日記

11月13日 例により師団より矢の催促、第一線の苦労も努力も何のその、

      唯あせりにあせって成功をのみ望む

 同23日 例により師団司令部突っかけてくる。

   如何にあせりても落ちざるものは落ちぬなり

●上村利道大佐 日記

戦況は進む、盲目滅法なり・・・・

まるで各兵団の「マラソン」競争にて後方の追及も何もあったものにあらず・・・・

12月1日、大陸命第8号が発令され、同時に大本営から戦闘序列も発令されました。

●大陸命第8号

支那方面軍司令官は海軍と協同して、敵国首都南京を攻略すべし

天皇が始めて、中国を敵国と呼び、首都南京の攻撃を命令したのです。

現地軍は今まで陸軍中央の指示を無視して、つまり天皇の意向を無視して暴走してきたのですが、

ここで天皇がはっきりと暴走を承認したのです。

天皇の意向を無視したことに後ろめたさを感じていた現地の司令官たちは非常に喜び

天皇に認めてもらったことに感動しました。

 

すでに南京に向けて進撃していた日本軍は命令後、3ルートに分かれて南京城に進攻しました。

それまで中支那方面軍と上海派遣軍の司令官を兼任していた松井石根は、

中支那方面軍の専任司令官となり、

新たに皇族の朝香宮鳩彦中将が上海派遣軍の司令官に任命され7日に着任しました。

      黄色部分 注:戦闘序列とは天皇の発令する軍の編成のこと、それまでは臨時編成で編合と言った

           注:はじめて天皇が中国を敵国と呼んだ

           注:大陸命は天皇の命令を大本営陸軍部が出したもの

           注:皇族の朝香宮鳩彦中将が上海派遣軍の司令官に任命されたことも重要です

 

この頃になって前記トラウトマンの和平工作はやっと動き出しました。

12月2日、国民政府の蒋介石は駐華ドイツ大使トラウトマンに日本側の和平条件を認める意向を伝えました。

●日本側の和平条件要旨 「支那事変対処要綱」

10月1日首相・陸相・海相・外相で決定、天皇に上奏

中国が満州国を承認する

日本は華北における国民政府の行政権を認める

華北の一部と上海周辺に非武装地帯を設定する

中国は抗日政策と容共政策を解消する・・・・・

しかし日本から要請した和平工作にもかかわらず、

南京攻略で興奮していた日本政府は強気に中国政府からの申し入れを断ってしまいました。

◎広田外相-犠牲を多くだしたる今日、かくのごとき軽易なる条件をもってしてはこれを容認しがたい

◎近衛首相-大体敗者としての言辞無礼なり

◎杉山陸相-このたびはひとまずドイツの斡旋を断りたい

日本側がドイツの和平斡旋を断った事に関して石射猪太郎は怒ったことを日記に残しています。

●外務省東亜局長 石射猪太郎の日記から

12月8日 ・・・アキレ果てたる大臣どもである・・・・

    もう行きつくところまで行って目が覚めるよりほか致し方なし

    日本は本当に困難にぶつからねば救われないのであろう

注:現在の日本の政治状況にも通じる言葉です。(2017年4月現在)

 

12月4日に日本軍は南京防衛線東側の一番外側のラインである句容県に攻め込み占領しました。

ここから南京戦が始まります。

8日の4時頃日本軍は飛行機で日本語と中国語の「投降勧告文」を城内に投下しました。

●日本軍の勧告文

日軍百万すでに江南を席巻せり。

南京城は正に包囲の中にあり、

戦局の大勢よりみれば、今後の交戦はただ百害あって一利なし・・・・

日軍は抵抗者にたいしてはきわめて峻烈にして寛怨せざるも、

無辜の民衆および敵意なき中国軍隊にたいしては寛大をもってし、これを犯さず・・・・

しかして貴軍交戦を継続せんとするならば、南京はいきおい必ずや戦禍を免れ難し。

しかして千載の文化を灰燼に帰し、十年の経営はまったく泡沫とならん。

よって本司令官は日本軍を代表し貴軍に勧告す。

すなわち南京城を和平裡に開放し、しかして左記の処置に出でよ。

大日本陸軍総司令官  松井石根

(注:黄色線の左記の処置とは、中国側からの回答を12月10日に受領する。

        回答がない場合はやむをえず攻撃を開始するというものでした)

しかし中国軍はこれを拒否し、

南京防衛軍司令官・唐生智は「本軍は複廓陣地において南京固守最後の戦闘に突入した。

各部隊は陣地と存亡を共にする決心で、死守に尽力せよ」との命令を出しました。

12月10日午後2時、日本軍は中国側が降伏勧告文に応じなかったため南京城攻撃命令を下令しました。

防衛軍の撤退が遅れ、最終的には11日に蒋介石から撤退命令が出たもののきちんと伝達されず、

混乱と日本軍の攻撃の中で中国軍は崩壊し、

南京に残っていた一般住民や周辺から避難していた避難民は大パニックを起こし逃げまどい、

侵入する日本軍と入り乱れました。

12日12時、中華門西方の城壁に第6師団第47連隊が日章旗をたて、その後続々と占領が進みました。

 

 

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