南京事件

南京戦・中国側の死者の人数 3
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最終更新日:2019/11/02 11:24

5. 埋葬記録から集計する   

多くの埋葬団体の埋葬記録が全て残っているとは限りませんし、重複している場合もかなりあるでしょう。

それに少人数や上海から南京まででは埋葬していないこともあったでしょうし、

河に流された死体も膨大な数です。

戦闘死と殺害の区別も付きません。   

さらに資料によっても微妙に数字が異なります。

どの範囲、いつの時点で集計するかによっても数字は異なりますし、

転記する際にも数字は四捨五入等で変わります。

大事なことは埋葬記録の調査は日本軍が南京を占領して傀儡政権が出来てからの調査だという事です。   

日本軍の監督下において行われた調査ですから、

よく言われる「中国の言うことはオ-バ-」だという事は当てはまらないのです。

●世界紅卍会南京南京分会救済隊埋葬班死体埋葬統計表(中国の大規模な慈善団体)      

南京城内                    1,793体  

37年12月22日~38年2月27日      

城外区(城区・城壁周辺の近郊区)       41,330体   

37年10月30日まで        

合計             43,123体

●世界紅卍会八掛洲分会              10,000余体    

●南京市崇善堂埋葬活動一覧表 (南京にあった慈善団体)         

城内                  7,549体  38年4月6日まで        

農村地区              104,718体  38年4月20日まで

  合計      112,267体

     上の2つは東京裁判で証拠として提出されたものです。   

それ以外の埋葬記録では    

●中国紅十字会南京分会(注:赤十字の事)

南京周辺で         22,671体 (22,683体)  38年1月から5月

          注:日本軍占領下で行われた赤十字の活動なので正確と思われる)

          注:ヴォートリンの日記には30,989体となっている。

●南京市政府衛生局 (日本軍が作った傀儡機関・南京自治委員会)

                       10,794体 (7、400体)  38年から40年

●南京代葬局              10,000余体   

●長生慈善会    数不明    

●同善堂               7,000体あまり    

●日本軍                90,000体 

これ以外に、撫順の戦犯管理所での日本軍捕虜の大田寿男の供述書に、

12月14日から18日にかけて碇泊場司令部で処理した遺体約10万のうち、9万を川に投げ入れたとある

 

6. 英文(欧文)資料

●A.T.スティ-ル   シカゴ・ディリ-ニュ-ス  1937年12月15日

         5000~20000人の兵士が殺害された

●ダーティン     ニュ-ヨ-ク・タイムス   1938年1月9日

         20000人を処刑、一般人を含む33000人

●ルイス・S・C・スマイス(金陵大学社会学教授)が助手を使っておこなったサンプル調査

「南京地区における戦争被害 1937年12月~1938年3月 都市及び農村調査」          

(注:日本軍の占領下で行動が制限されている上に

 周辺5県の県城を除外して農村部のみなので、かなり少なく総数ではない)     

市部(城内及び城門外の下関と中華門外を含む)

             死傷者                   6,750名 (7450名?)

                 内 死者              3,400名 (3250名?)

                   内   兵士の暴行によるもの  2,400名

                       爆撃、砲撃他      1,000名

             拉致されて殺害された可能性         4,200名

農村部        死者               30,905名

                   内 殺されたもの         26,870名

             離村して帰ってこないも者         133,230名

               注:農村部では六合県の半分と高淳県を除いた4県半の調査です

この調査で、スマイスは市内と城壁周辺の入念な埋葬資料調査から

民間人12,000人が虐殺されたと推測している。

また日本の記録にある下関の数万の大量虐殺が含まれていないようです

●M.S ベイツの証言      金陵大学歴史学教授  東京裁判での証言から

       南京陥落後72時間以内に「国際委員会の雇った労働者」が「埋葬した軍人、市民の遺体が3万体に達した

●M.S ベイツの手紙   ノースチャイナ・ディリ-ニュ-ズ 1938年2月21日

非武装の人 10,000人以上

●G.A.フィッチ     サウスチャイナ・モ-ニングポスト 1938年3月16日

                   貿易協会そば  25,000人の遺体

●ジョン・マギ-がマッキム牧師に宛てた手紙        

多くの屍体が友人や親族によっても埋葬されています。

たとえば、ある城門から外側1マイルほどのところにある、わが教会の共同墓地の管理人が、

わたくしに申しましたのでは、2,000から3,000の人々がその城外で殺され、

その地域の人々によって埋葬されたのでした。

●サウスチャイナ・モ-ニングポスト     1938年2月22日

                  8万人以上

●エドガ-・スノ-  「アジアの戦争」 1941年

                   少なくとも42,000人が殺害、多くは婦女子

●ジョン・ガンサ-  「アジアの内幕」 1939年

                   なくとも40,000人が処刑

●中国政府声明  1938年2月1日 ディリ-テレグラム、モ-ニングポスト

●国際連盟理事会第6回議事録

                        20,000人

7. 当時の日本の新聞    

●大阪朝日新聞  1938年4月16日

         死体片付けは  城内で    1,793体

                 城外で   30,311体

 

 

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