日本国憲法の成立

色々な憲法草案
記事専用プリント対応ページ

最終更新日:2016/11/05 10:18

マッカ-サ-は世界各国の意見を考慮し、「日本政府自らが新憲法をつくる」ように仕向けました。

日本政府も民間もそれに呼応して多くの憲法草案が出来ました。

むしろ民間では戦争中から新憲法草案の構想がありました。

どのような案があったのでしょうか。

政府側憲法案

◎ 法制局第一部長 入江俊郎案

◎ 東久邇内閣副書記官長 矢部貞治案

◎ 外務省政務局第一課、第二課案

◎ 国務大臣松本烝治の憲法問題調査会案

◎ 内大臣御用係佐々木惣一案

◎ 近衛文麿 憲法改正要綱

◎ 宮沢俊義案

政党による憲法案

◎ 日本共産党 日本人民共和国憲法案

◎ 自由党憲法改正要綱

◎ 進歩党憲法改正要綱

◎ 社会党憲法改正要綱

民間側の憲法案

◎ 布施辰治 憲法改正私案(戦前の人権活動家)

◎ 憲法研究会(鈴木安蔵、高野岩三郎)案

◎ 稲田政次私案 (憲法懇談会)

◎ 高野岩三郎 日本共和国憲法私案要綱

このように沢山発表された草案の中で民間案で黄色の字になっている憲法研究会(鈴木安蔵、高野岩三郎)案が

政府やGHQに提出され、12月26日には新聞にも発表されたのです。

そしてこの案が現在の憲法の基礎になったと思われます。

マッカ-サ-はすぐに翻訳し検討した結果、内容が民主的であることからかなり高い評価したようです。

憲法研究会案は日本政府にも提出されていたことから、

マッカ-サ-としては正式な日本政府案も憲法研究会案に沿うものだと期待していました。

そして1946年2月1日、毎日新聞は政府案の国務大臣松本烝治の憲法問題調査会案をスク-プしました。

しかしその政府案の内容は明治憲法に近く旧態然とした内容だったため、

GHQは拒否しGHQとしての草案作りを始めました。

この動きは、戦争処理をする「極東委員会」の日程がせまり、そこで天皇の戦争責任が出ることを恐れた

マッカ-サ-が憲法作りを急ぐ事情があったからだといわれています。

 

次の項目で2つの憲法案を書きます。

まずGHQが期待を寄せた民間の「憲法研究会・憲法草案要綱」です。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ご意見・ご感想はこちらへ ※個人情報の取り扱いについて

お名前 (必須)

メールアドレス ※返信をご希望の方はご記入ください

メッセージ本文