日本国憲法の成立

天皇とマッカ-サ-の会談
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最終更新日:2017/01/07 10:03

GHQ総司令官はマッカ-サ-から途中でリッジウエ-に変わりましたが、天皇はマッカ-サ-と11回、

後任のリッジウエ-と7回会談をしています。

 

最後に参考としてその会談の内容をピックアップします。

 「マッカ-サ-との会談」

● 第3回会談 1946年10月16日

天皇  戦争放棄を決意実行しても日本が危険にさらされることのない世界の到来を・・・

マッカ-サ- 戦争をなくすには戦争を放棄する以外に方法はありません

   それを日本が実現されました。

● 第4回会談 1947年5月6日

マッカ-サ- 日本が完全に軍備を持たないことが最大の安全保障であり、

   日本が生きる唯一の道である。

天皇  日本の安全保障のため米国がイニシアティブをとることを希望する。

マッカ-サ- 米国の根本観念は日本の安全保障を確保することである。

● 第9回会談 1949年11月26日

天皇が朝鮮戦争の可能性と共産主義の脅威を主張したことに対して

マッカ-サ- ソ連を含めた全面講和は無理だろう。

日本が不完全な武装をしても侵略から守れないだろう。

数年間英米軍の駐屯が必要である。

天皇  もし千島がソ連に占領され、台湾が中共に落ちたら

米国は日本を放棄するのではないかと心配する向きもある。

マッカ-サ- 米国の政策は全く不変です。

   米国は日本に留まり、日本及び東亜の平和を維持するために断固として戦います。

● 第10回会談 1950年4月18日

天皇  米国は極東における重点の置き方が欧州に比べ軽いのではないか。

マッカ-サ- それが中国の悲劇を招いたのかもしれない。

マッカ-サ- 永世中立の意義を天皇に説明する。

天皇  共通の世界観を持つ国家間の協力を力説する。

天皇  共産党が国民の不満をかきたてている。

          注:その後5月からマッカ-サ-は共産党の弾圧に乗り出す

● 第11回会談 1951年4月15日

天皇  東京裁判について貴司令官が執られた態度につき、この機会に謝意を表したいと思います。

マッカ-サ- 私はワシントンから天皇裁判について意見を求められましたが、勿論反対しました。

          注:天皇は東京裁判で自分を守ってくれたことを感謝し、

            マッカサ-もアメリカ政府から天皇を、守ったことを述べた。

 

「リッジウエ-との会談」

● 第2回会談 1951年8月27日

天皇  歴史上かって見たことのない寛大な条約案ができた。

        注:最高責任者である天皇を守ってくれたことへの謝意です。

● 第5回会談 1951年4月26日

天皇  6年半にわたり、マッカ-サ-元帥及び貴司令官の賢明なる占領政策と指導の結果、

   わが国は経済的に再建され、民主主義の確立と共に国の安定を見るに至りました。

 

特にマッカ-サ-との対談ではマッカ-サ-が平和のためには、非武装で戦争放棄をする事の意義を説明し、

天皇が不安がっていることが分かります。

 

 

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