軍隊手牒の画像と内容

軍隊手牒は兵隊の身分証明書と

履歴書を兼ねたようなものです。

軍人勅諭を初め

日本軍の兵士であることの

心得が書かれてあり、

すべて暗記し、いかなる時も

肌身離さず持つことを

義務付けられていました。

入隊から除隊までの経歴等が書かれてあり、

万が一戦地で死亡した時や恩給の証明にもなり、

本人確認をする際に重要なものです。

 

軍隊手牒 1 表紙 

 

 

軍隊手牒 2 

 

軍隊手牒 3 

 

軍隊手牒 4 

 

軍隊手牒 5 

 

軍隊手牒 6 

 

軍隊手牒 7 

 

軍隊手牒 8 

 

軍隊手牒 9 

 

軍隊手牒 10 

 

軍隊手牒 11 

 

軍隊手牒 12 

 

軍隊手牒 13 

 

軍隊手牒 14 

 

軍隊手牒 15 

 

軍隊手牒 16 

 

軍隊手牒 17 

 

軍隊手牒 18 

 

 軍隊手牒 19 

 

軍隊手牒 20 

 

軍隊手牒 21 

 

 軍隊手牒 22 

 

軍隊手牒 23 

 

軍隊手牒 24 

 

 軍隊手牒 25 

 

軍隊手牒 26 

 

軍隊手牒 27 メモ 

 

[軍隊手牒の内容]

軍隊手牒には軍人の心得として

「勅諭」「勅語」「読法」「誓文」

「軍隊手牒に係る心得」などが書かれてあり、

その後に個人の情報や履歴などが書かれています。

軍隊手牒に書かれている内容は

字が細かくかすれている為書き写します。

原文はカナ及び旧漢字です。

 

● 基本情報

  所管   近衛師団

  部隊号  東部第72部隊

  兵科   砲兵

  官等級  砲兵二等兵を訂正して砲兵軍曹

  本貫族籍 東京府

  氏名   永井仁左右

  誕生   大正2年1月1日生

  身長   1米72糎0粍

  特業   自砲(注:自動車砲兵のこと)

  住所   東京市日本橋区本町1丁目5番地ノ1

  戦時著装被服大小区分

   帽  7号

   衣衿 1号

   外套 1号

   靴  11文0分

   革脚絆   号

● 兵役 2年

  服役年期 自8年12月1日

       至10年11月30日

  実役   自9年2月19日

       至1年 月  日

● 出身前履歴

  昭和6年3月實科工業学校卒業

  昭和6年3月24日實科工業学校に於て

  配属将校の行う教練の検定に合格

  工科学校機械科助手

  昭和9年2月19日現役兵として入隊

● 精勤章

  昭和9年7月31日附與

● 褒賞

  昭和9年10月10日通信褒賞徽章附與

● 善行證書

  昭和10年11月30日附與

● 適任證書

  11月30日砲兵科下士官適任證書附與

● 履歴

  昭和9年2月19日現役兵として

   野戦銃砲兵第8連隊第2中隊に入営

  昭和9年4月21日第一期教育完了

  昭和9年7月31日砲兵一等兵を命ず

  昭和9年11月20日通信手を命ず

  昭和9年11月9日より14日迄

   栃木埼玉群馬県下に於ける

   特別大演習に参加

  昭和9年12月1日砲兵上等兵を命ず

  昭和9年12月1日伍長勤務上等兵を命ず

  昭和10年4月9日満州国皇帝御来朝時に於ける

   特命近衛師団観兵式に参加

  昭和10年11月30日満期除隊

  昭和11年簡閲点呼済

● 履歴 動員から解散まで

  昭和12年9月13日充員招集のため

    東部第72部隊に応召

  同日街道部隊に編入

  9月17日動員完結

  9月17日砲兵伍長

  9月22日大阪港出発

  9月26日上海上陸

  自9月27日至10月26日

   大場鎭附近の戦闘に参加

  自10月27日至11月11日

   蘇州河畔及南市攻略に於ける戦闘に参加

  自11月12日至12月1日

   南翔嘉定太倉常熟無錫常州及

   江陰攻略に於ける戦闘に参加

  自12月2日至12月14日

   南京及び烏龍山附近の戦闘に参加

  自12月15日23日迄

   南京に於て待機

  自12月24日至昭和13年4月21日

   鎮江附近の警備

  昭和13年4月22日

   徐州作戦のため鎮江出発

  4月28日蚌埠到着

  4月29日より5月2日迄

   同所於て待機

  自5月3日至5月26日

   蒙城永城徐州附近の戦闘に参加

  自5月27日至6月2日

   徐州に於て待機

  6月1日砲兵軍曹

  6月3日徐州出発

  6月5日蚌埠到着

  自6月6日至9月28日

   蚌埠及び南京附近の警備

  9月29日下関出発

  10月5日碼頭鎮上陸

  自10月6日至10月18日

   冨水附近の戦闘に参加

  自10月19日至10月26日

   武漢攻略戦に参加

  自10月27日至11月2日

   武昌に待機

  自11月3日至11月6日

   楠林橋附近の戦闘に参加

  自11月7日至11月10日

   通城に向う追撃戦に参加

  11月11日

   大沙坪出発

  11月14日金牛鎮到着12月13日

   迄同地附近の警備

1  2月1日給三等給

  12月14日より昭和14年2月17日

   紙坊付近の警備

  昭和14年2月18日

   紙坊出発

  2月19日武昌に於て乗船

  2月21日九江上陸

  3月2日九江出発

  3月10日永修北方到着

  自3月11日至3月21日

   修水河畔の戦闘に参加

  自3月26日至3月28日

   武寧附近の戦闘に参加

  4月6日虬津市出発

  4月8日九江到着

  4月12日九江出発

  4月14日漢口上陸

  自4月15日至4月19日

   漢口に待機

  4月20日漢口出発

  4月23日江北徳安到着

  自4月24日至5月19日

   隋懸厲山及唐王店附近の戦闘に参加

  自5月24日至6月7日

   廣水附近の警備

  6月1日給二等給

  6月8日廣水出発

  6月15日武昌西方地区に到着

  自6月16日至9月11日

   武昌西方地区の警備

  9月12日贛湘会戦参加のため

   武昌西南方地区出発

  9月16日

   崇陽西南方地区に到着、

   同19日迄同地に待機

  自9月20日至10月10日

   通城鯉港及麦市附近に於ける戦闘並に警備

  10月11日通城出発

  10月12日楠林橋に到着

  自10月13日至10月15日

   楠林橋通山附近に於る戦闘に参加

  10月16日楠林橋出発

  10月17日

   武昌西南方地区に到着

  12月1日一等給

  自10月18日至昭和15年4月16日

   武昌西南方地区の警備

  昭和15年4月17日武昌西南方地区出発

  4月22日鷹山到着

  4月23日より5月20日迄

   高城厲山唐懸鎮棗陽績雙溝鎮劉家砦

   附近の戦闘に参加

  5月21日より31日迄

   棗陽附近の警備

  6月1日より7月29日迄

   隋懸淅河馬坪附近の警備

  7月1日淅河出発

  8月4日武昌西南方地区到着

  自8月5日至8月22日

   武昌西南方地区の警備

  8月23日、昭和12年度

   陸支機密第232号に拠り

   武昌西南方地区出発

  8月26日南京着9月2日迄待機

  9月3日南京出発

  9月12日宇品港上陸、

   同日東部第72部隊第二中隊に編入

  9月16日召集解除

● 欠勤

  昭和10年8月26日

  同9月4日

   二等症入院   

● 手牒に書いてある個人のメモ

  昭和15年2月16日 勲八等瑞宝章

  4月29日 勲七等青色桐葉章

● 手牒に挟んであるメモ

  この軍隊手牒の召集間の履歴は自筆である

  数回目の帰還兵の中に我れ一人

  特別繰上げで入り、

  第2中隊の指揮官となる

  当時武昌西南王家湾在の部隊より出発

  15年9月13日世田ケ谷の部隊に帰営

  16日解除間手続き等万事超多忙の中

  寝る暇もなく中隊全員の

  軍隊手牒へ履歴を記入せり