阿片政策

里見機関
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最終更新日:2014/05/28 16:55

政府や興亜院の指導で出来た阿片販売商社である「宏済善堂」は

責任者が里見甫(さとみはじめ)であったことから里見機関と呼ばれました。

里見のことを書くとかくと長くなりますので避けますが、大陸浪人のような形で中国の新聞界に身を置き、

その後奉天で関東軍第4課の宣伝工作を担当します。

そこで多くの軍人から信頼を受け、軍が表面に立てない特殊工作を任せられるようになりました。

 

当時、軍としては昭和天皇がしきりに軍の阿片への関与を気にする発言をしていたため、

表立った行動は取れず、隠れ蓑として別機関を作る必要に迫られていました。

丁度その頃参謀本部第8課(注: 謀略担当のために後から追加で出来た課)課長になった影佐禎昭大佐は

信頼厚い里見甫に裏機関を任せたと言われています。

* 直接関係ありませんが自民党の谷垣禎一氏は影佐の孫に当ります

里見はその後阿片の販売(特にイラン阿片)に力を入れ、闇の帝王として君臨するようになったのです。

 

アメリカ軍は里見を最重要人物としてマ-クしていました。

敗戦時カバン1つで帰国ししばらく潜伏しましたが、

1946年に民間人A級戦犯第1号として逮捕されました。

しかし何故か無罪放免になりました。

もしかしたら連合国や中華民国も里見と裏で関係があったとされていますので、

曝露されるのを嫌がったのかもしれません。

里見が無罪放免になったため膨大な阿片に関する記録歯は闇に埋もれてしまいました。

里見は1965年に亡くなりました。68歳でした。

 

戦中、中国や満州で活躍した政治家や経済人の殆どが里見の世話になったといわれます。

そのせいで葬儀は大変盛大で、日本の政財界を代表する人物が殆ど焼香に来たと言われ

1日では終わらなかったそうです。

 

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