大東亜共栄圏

駆逐艦・秋風での処刑
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最終更新日:2014/05/10 10:44

1943年3月8日、ラバウルを出発した駆逐艦「秋風」は民間抑留者(現地人や白人)をラバウルに移動させる為、

ニュ-ギニアのカイリル島やロレンガウで抑留者を乗船させました。

3月16日、ニュ-アイルランド島に停泊したときに処刑命令が手渡されたと思われます。

秋風の船長の顔は真っ青で「ラバウルからの命令で抑留者たちの殺害を命じられたが、

私は彼らを殺したくない」と語った。

また乗組員も命令を拒否したかった。

しかし、軍の命令は絶対でした。3月17日、船尾に木の台と、その上に吊り処刑台が作られました。

1人ずつ呼ばれ、初めに司教が、次に男性達が銃殺された。

さらに女性が続く。

皆着物を脱がされ下着だけにされた。

目隠しをされ、後ろ手に縛られた。そのままロ-プで吊り上げられた。

4人の機関銃兵と1人のライフル銃兵が銃殺し、死体は海に投げ入れられた。

3人の子どもは生きたまま海に投げ入れられた。

犠牲者は子ども3人を含む完全な民間人で62名でした。

 

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