防疫給水部(細菌戦部隊)

アメリカによる調査とソ連
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最終更新日:2014/11/08 11:11

アメリカ軍ではかなり早い時期から日本軍の細菌戦に関して情報をつかんでいたようです。

1942年3月13日にはアメリカ海軍情報部は、

中国において生物兵器が使用された可能性に就いてレポ-トを配布しました。

*アメリカ海軍情報部のレポ-ト

日中間の戦争が始まって以来、日本が生物戦を行っているという情報や噂が流れている。

そうした報告について、十分な確認がなされているわけではないが、

湖南省長沙での騒動に関する以下の情況については、

十分な確認が出来ており、注意を向ける必要がある。

そこでは、11月11日から25日の間に、「腺ペスト」が6回発生し、

12月14日には7件目が報告されている。

この情報はきわめて信頼できるものと評価してカナダの情報機関にも伝えられました。

 

終戦直前の6月にも報告書があります。

アメリカ軍のダグラス・マッカ-サ-将軍の個人用書類に

1945年6月23日付け「日本軍の戦争法規違反」と言う報告書です。

ヴァージニア州のマッカ-サ-資料館で発見されたものですが、

その資料を分析した西里扶甬子さんのレポートを見てみます。

*西里論文  季刊戦争責任研究     第11号から

・・・・この報告書の第2章は細菌戦と題して、

捕虜尋問の内容から不十分ながら日本軍が細菌戦を実戦に使うべく

重大な関心と期待を寄せて準備している事実を察知していることを伺わせる。

また第4章には連合軍捕虜に対する残虐行為という項目があって、

斬首や生体解剖と共にシンガポ-ルでの目撃談として

「多数の連合軍捕虜が赤痢とマラリアの人体実験に1回以上使われた」と報告している。

最後に添付されている報告にはハルビンで細菌爆弾の実験を指揮している人物として、

石井四郎の名前も上がっている。

また石井四郎は東京の陸軍軍医学校研究室(防疫研究室)の主幹とも書いてある。・・・・

このようにアメリカ軍は、日本軍が細菌戦や生体実験をしていた事実を知りながら、

戦後の世界戦略の観点から情報を独占しようとしました。

特に日本占領軍(GHQ)のマッカサ-を始め、配下の情報部(G-Ⅱ)、化学戦部隊は、

ワシントン政府に隠れて731部隊情報を取り込んでいきました。
敗戦から約2週間、8月28日到着した連合軍の中に最初の調査団がいました。

モーランド調査団

団長 E・L・モーランド博士(マサチュ-セッツ工科大学理学部長)
顧問 K・T・モ-ランド博士(同大学長)
ムーレイ・サンダ-ス軍医中佐(細菌戦の専門家、シカゴ大学教授、)

注:サンダ-スは戦時中から米陸軍が

  生物兵器の研究を進めた「キャンプ・デトリック」の医学博士で、

    特に731関係の調査が目的でした。

注:キャンプ・デトリック

  日本やドイツの生物戦に備えて、1943年にメリ-ゴ-ランド州に建設された特別研究施設で、

  アメリカ陸軍細菌戦研究部隊です。

 

まず旧日本軍の軍事課・新妻清一中佐を調査するに当たってサンダ-スは

「・・・戦争犯罪とは無関係に純科学的に調査をする・・・・」と事実上戦犯免責とも取れる約束をしました。
その後の内藤良一に対する訊問で、人体実験はしていないとの内藤の言葉を信じてしまったサンダ-ス

調査不足のままマッカ-サ-に731部隊の免責を進言してしまいました。

その後サンダ-スは内藤と友人関係になり、日本ブラッドバンク(後のミドリ十字)にも関係したようです。

そのあとは石井の片腕で、731部隊の全容を知る増田知貞(南京栄1644部隊長・軍医大佐)へと調査は進みます。

大物政治家亀井貫一郎が協力したことで(1945年10月、鎌倉での亀井、サンダ-ス会談)再度戦犯免責が確認され、

引き換えに731部隊関係者の重い口は開き始めました。

すぐに「Px」(ペストノミ)の事はばれたようです。

しかしその時には731部隊関係者を免責することはすでに決まっていました。

1945年11月サンダ-ス・レポ-トがまとめられました。

*調査内容

(a)生物戦に関する日本軍の意図と能力
(b)現在または近い将来における武器としての生物兵器の能力を見積もる際に応用する。

 

サンダ-スレポ-トには関係者を免責したことや情報をアメリカが一手に握った成果、

相当な成果があったにもかかわらず、余り詳しいことが書かれていません。

ところがサンダ-スは1980年代に入って驚くべき事実を語り始めました。

内藤良一が731部隊の関係者だったことは後で分かったことにせよ

その時点で731の実態をかなり把握して、しかも知らないふりをして免責したのです。

*テレビジョン・サウス    サンダ-スインタビュ- トランスクリプション

1985年3月 フロリダの自宅にて

・・・だから、人間モルモットを使った実験はしていないという

内藤の言葉を信じていたのは、ほんの短いあいだだった。

ただ、信じるふりを続けた方が彼との友達関係がうまくいくと判断した。
来日してから何日もの間、陸軍大臣だの軍医総監だのと面談して、何の情報も得られなかった。

それが突然私の傍にいる通訳が、それまでは帝国陸軍の中佐だということは分かっていたが、

向かうべき方向を教えてくれたんだ。

それに、人体実験のことを私が知らないことにしておいた方が、内藤を守れるとも思った。

内藤が一晩で書き上げてきた文書には、陸軍参謀部の中には

アメリカ軍に細菌戦についての情報を与えることに強硬に反対する者もいると書いてあったし、

この文書を読んだ後には焼き捨ててほしいとかいてあった。

彼が描いた細菌戦部隊の組織図を見たとき、彼を守らなければと思った。

われわれは薄い氷の上にいるという気がした。

われわれはどうしても彼を必要としていたからね。

彼の情報については丸ごと受け入れて、われわれ自身の判断は後ですればいいと思った。

もっとも、彼が731部隊のメンバ-だと知ったのは、私が帰国したずっと後だったがね。

・・・・・私の意見では、日本人たちは、中国人であろうと、満州人であろうと、

アメリカ人やイギリス人あるいはその他の異なった人種のグル-プと、

なんら異なった感情は持っていない。

後で分かったことだが、彼らはある一種類のバクテリアを注射して、

黒人、白人、黄色人などの違った人種によって生理学上の反応の違いを調べたいと考えていた。

内藤の話として、彼らは人体実験の結果、およそ2000人の中国人と満洲人が殺されたということを認めた。

ロシア人も実験に使われたということも聞いている。
・・・・彼らはアメリカ人ついても研究しようとして、ある程度成功した。

しかしわれわれはこうした情報源についてはできるかぎり保護するようつとめた。
・・・・それに炭疽菌の人体実験は、相当数の中国人を使って行われたという証拠が後になって出てきたが、

奉天ではアメリカ人、それにおそらくはイギリス人の捕虜に対しても、炭疽菌の実験が行われたと思う。

石井のような人物を戦犯として起訴しなかったのは間違いだったと思う。

ただひとつ弁解すれば、こうした条件でも持ち出さなければ、

われわれが手に入れたようなデ-タを手に入れることは出来なかったと思う。

サンダ-スの帰国後同じキャンプ・デトリックのアーヴィ-・トンプソン獣医中佐が調査を引き継ぎました。
1946年1月11日に調査を開始しています。

731部隊関係者の重要な人物を訊問したのにもかかわらず、

成果のあがらないまま3月にはトンプソンレポ-トがまとめられました。
レポ-トの中でトンプソンは「おのおの別個とされる情報源から得られた情報はみごとに首尾一貫しており、

情報提供者は尋問に於いて、明らかにしてよい情報に量と質を指示されていたように思える」と書いています。

つまり影で誰かが操っていたことを見抜いていました。

その操っていた人物は内藤良一です。

 

アメリカにいくら情報を与えても東京裁判まではどうしても秘密にしておかなけらばならないことがあったからです。

それは「○」と「保作」です。

「○」は㋟(マルタ・人体実験された被害者)と

㋭(細菌戦)のことです

「保作」は細菌戦の作戦内容のことです。

陸軍省軍務局軍事課の新妻清一中佐が残したファイルにこのことが書かれています。

作者は不明ですが内藤良一かもしれません。

*北野中将へ連絡事項    (原文カナ)

1.○及び「保作」は絶対に出さず
2.関防給は石井隊長以下尚在満しあり

注:関東軍防疫給水部つまり731部隊の隊長以下はまだ満州にいるということ

3.増田大佐は万難を排して単独帰還し「マ」司令部へ出頭せり

注:マはマッカーサ-つまりGHQのこと

4.関防給は総務部長兼第四部長大田、第一部長菊池、第二部長碇、第三部長兼資材部長増田大佐となり

  その他は転出又は解隊しあり
5.第一部研究、第二部防疫実施並びに指導、第三部給水実施並びに

  指導及び資材修理、第四部製造、資材部資材保管補給を担任しあり

6.7,8棟-中央倉庫、田中班-P研究、八木沢班-自衛農場に使用しあり

注:7、8棟は監獄だった

7.「保研」に関しては石井隊長、増田大佐以外は総合的に知れるものなし  以下略

注:保研は細菌戦研究のこと

8.北野中将在職中「保研」は前任者の実験を若干追試せる外、

  積極的に研究せず中止の状態なり

注:北野は細菌戦にあまり関係していなかったと印象付ける

9.「保研」は上司の指示にあらず、防御研究の必要上一部の者が研究せるものなり

注:細菌戦は組織的ではなく一部の者が防御のためやったことにする

10.北野中将は在職中もっぱら流行性出血熱の研究に没頭せり

 

第731部隊の部隊長を務めていた北野政次(軍医中将)が戦後日本に戻ったのが1946年1月です。

東京裁判で最悪の事態も予想していた北野は「有末機関」で有末精三(元中将・対連合軍陸軍連絡委員長)と会談し

アメリカ軍とはもう話がついていて、戦犯となることはない」と聞かされます。

そして有末機関から出た北野はその足でGHQへ行きました。

GHQでは「生物戦のことは口外しないように」と言われています。

そして翌日の1月11日にトンプソンは北野に訊問を開始します。

このことは非常に興味のあることです。

アメリカ政府が派遣した細菌戦の専門家サンダ-スやトンプソンは第731部隊のことを調査しようとしたのに対して、

占領軍のGHQは細菌戦のことを隠そうとしていたのです
恐らくトル-マン大統領からの直接命令を受けていたマッカッサ-のGHQは政治の場で公開することを避けて、

戦後の軍事的世界戦略を考えて情報を秘密裏に独占しようとしたものと思われます。

G-2(GHQ参謀2部、情報・諜報部門)やCIC(GHQ対敵諜報部隊)は、かなり情報をつかんでいたようです。

結局3月にまとめられたトンプソンレポ-トの結論は

「日本は生物戦の攻撃面の研究・開発で大きな進歩を達成しているが、

結局実用的な武器として生物兵器を使用するまでにいたらなかった。・・・・・・

全ての証拠書類が破棄されたという説明には疑問がある・・・・」という事になってしまいました。


かたやソ連は満州で捕虜にした731部隊員の証言から証拠をかなりつかんでいたため、

1947年1月、アメリカ(GHQの情報部G-2)に対し

731部隊の石井四郎、太田澄、菊池斉、3名の引渡しと尋問を要請して来ました。

ソ連は一度は日本で石井四郎の聞き取り調査をしましたが、

全情報を独占しようとするアメリカに阻まれて成果をあげることが出来ませんでした。

ですからハバロフスク裁判での記録だけがソ連側の得た内容です。

実はソ連が石井から聞き取り調査をした時に、事前にアメリカと石井が打ち合わせをし、

しかもアメリカの立会いの下での聞き取りでしたから何も聞き出せなかったのです。

石井四郎の長女「はるみ」の証言があります。

石井はるみ 証言  1987年4月 西里扶甬子インタビュ-

・・・・そして、翌年フェルさんが来て、ソ連の訊問があった時、トンプソンも立ち会いました。

一度帰国して戻って来ていたのだと思います。

ソ連の訊問の前にはああ言え、こう言えって打ち合わせが大変でした。

アメリカ側の人間と親しげにしてくれるなと、何べんも言われました

あの日のことは鮮烈に覚えています。

ソ連の人は3人で靴も脱がずにそのままダダ-ッと2階へ上がってしまって、

一人ステノ(口述筆記者)の女性がいて、それが夏だったから、

ブラジャ-とパンティの上にすけすけのボルグのワンピ-スを着てたの。

ボインボインで、それでもう香水の匂いが強烈なの。3人とも無愛想で。

私はマキさんと隣の部屋にいましたが、質問は研究のことばかりだったと思います。

アメリカもそうでしたけど・・・・

ソ連の指摘で731部隊の人体実験や細菌戦が発覚してから、アメリカは3人目の調査官を送り込んできました。

化学戦部隊のノバ-ト・フェル博士です。

そしてさらに731関係者との駆け引きが活発になりました。

つまり731部隊の全資料と戦犯免責の駆け引きです。

すると石井四郎はさっそくアメリカに自らを売り込みました。

*Interrogation of Isii May 8and9 1947 (その他も参考にしてまとめました)

・・・・すべての記録が破棄されてしまったので、概略程度しか思い出せない。

ロシアと中国が細菌を使ったので、日本は防御的生物戦研究をやらざるえを得なくまった。・・・・

寧波事件については中国の新聞で読んだ。私は満州にいたのでその県については何も知らない。・・・・

増田、金子、内藤の3人は、多くの情報を提供できることでしょう。

私は細菌戦の専門家としての私はアメリカ軍に雇われたいと思っています。

ソ連との戦争の準備として、私が20年かけた研究と経験の成果を差し上げることができるでしょう。

細菌戦の防御に冠する戦術的問題について、私は色々考えてきました。

寒冷な地域やさまざまな地域で採用されるべき最適の病原菌について、

何冊もの本を書くことが出来ます。・・・・

炭疽菌がベストだと思う。

なぜなら、大量生産が可能で、耐久性があって、毒性を持続し、致死率が80から90パ-セントです。

ベストの伝染病といえばペストだと思う。昆虫を媒介とする伝染病でいえば、脳炎だと思います。・・・・

この状況の中でマッカ-サ-が国防総省に731部隊の免責を正式に訴えました。

その結果アメリカ政府は免責という決断を下したのです。

*N.R.Smith,April 18.1947、RG331、MFB、WNA

アメリカにとって、日本の生物戦デ-タは国家安全保障上、高い重要性を持つものであり、

『戦争犯罪」として訴追することの重要性はそれに及ぶものではない。

日本人生物戦専門家を戦犯裁判に引き出した場合、

その情報が他国に対して明らかになってしまうため、

国家安全保障上望ましくない。日本人情報源から得た生物戦に関する情報は、

情報チャンネルにとどめ、「戦争犯罪」の証拠として用いるべきではない。

ノバ-ト・フェルに続いてキャンプ・デトリックから

病理学者のエドウィン・ヒルとジョセフ・ヴィクタ-の両博士が来日し

調査のために具体的な人体実験の試料を多数アメリカに持ち帰りました。

それらの膨大な資料を、CIAは1947年から研究し、

その後アメリカ国立公文書館に文書は送られ1950年代に入るとマイクロフィルムに収める作業が開始されました。

5%位の作業が終ったところで政府から中止命令が入り、1958に日本に返還されました。

日本に返還された膨大な資料を日本政府はまだ公開していません。

ノバ-ト・フェルが収集した資料の内に人体実験された人間の標本がありました。

731部隊がどれだけ細菌実験をしたかの目安になるので記載してみます。

*ヒルレポ-トより

症状名          標本数

炭疽           36
ポツリヌス         2
ブルセラ          3
一酸化炭素中毒       1
コレラ         135
赤痢           21
鼻疽           22
髄膜炎           5
マスタ-ドガス      16
ペスト(実験?)    180
ペスト(流行で感染)   66
毒物            2
サルモネラ        14
孫呉熱         101
天然痘           4
連鎖状球菌         3
自殺           30
破傷風          32
森林ダニ脳炎        2
つつが虫          2
結核           82
腸チフス         63
発疹チフス        26
ワクチン          2


この標本は731部隊で集めた標本で、生体実験から町中で流行したものまで含まれます。

数を見てみると731部隊が興味を持って研究していた内容がわかります。

 

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