軍による性暴力

軍や国の機関が関与した
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最終更新日:2017/03/02 17:05

実際に軍・政府がどのように関与したのか資料から見てみます。

慰安婦を集めて慰安所に送るためには、軍だけではなかなか困難な仕事です。

やはり国家機関が関係したと思われます。

まず内務省です。

●支那渡航婦女の取扱に関する件   1938年2月23日 内務省発 警第5号

                             (原文カナ、意訳)

醜業を目的とする婦女の渡航は現在内地において娼妓その他事実上醜業を営み

21歳以上かつ花柳病(注:性病)その他伝染病のない者にして、

北京、中支方面に向かう者に限り当分の間これを黙認することとし・・・・

身分証明書を発行することとする。

 解説:支那に対する渡航は原則として厳しく制限していたが、

  慰安婦に限って当分の間、黙認するということです。

  またこの頃はもともと売春をしていた女性を慰安婦として募集していたことが分かります。

 

次の内務省資料はもっと踏み込んだ内容になっています。

●支那渡航婦女に関する件伺  1938年11月4日 警務局長宛(原文カナ、意訳)

本日、南支那派遣軍の古荘部隊参謀・陸軍航空兵少佐 久門有文及び陸軍省徴募課長より

南支那派遣軍の慰安所設置の必要性につきに付き、

醜業を目的とする婦女約4百(千と訂正)名を渡航させるよう、

密かに送付するよう配慮して欲しいとの申し出があったので、

本年2月23日内務省警第5号通牒(上記)の趣旨によりこれを取り扱うこととし、

左記を各地方に通牒し密やかに電話し適当なる引率者を選定し婦女を募集せしめ

現地に向かわせるよう取り計らいして頂きたい。

1 内地に於いて募集し、現地に向わしむ醜業を目的とする婦女は約4(5と訂正)百名程度とし、

  大阪100名(200名と訂正)、京都50名(100名と訂正)、兵庫100名(200と訂正)、

  福岡100名、山口50名を  割り当てるに於いて、

  その引率者を選定して慰安婦を募集せしめ現地に向かわせる事

2 省略

3 右、渡航婦女の輸送は内地より台湾高雄までは抱主(注:引率者)の費用で密かに連行し

  同地よりは、大体(出来る限り密かに行うこととし、

  場合によっては)御用船に便乗現地に向うものとする。

4 本件に関する連絡については

  参謀本部第一部第二課の今岡少佐、吉田大尉(陸軍省徴募課長)がこれに当たる。

  なお現地は軍司令部、峯木少佐が担当する。

5 以上のほか、なおこれら婦女を必要とする場合は

  必ず古荘部隊本部(又は軍特務部)において南支那派遣軍に対するものを全部統一し

  引率許可を公布するよう取り扱うこととする。

6 本件渡航に付いては内務省及び地方庁は婦女の募集及び出航に関し、

  便宜を計らう位にとどめ、契約内容及び現地における婦女の保護は軍において充分注意すること

以下省略

解説: 黄色線の部分を読むと直ぐに分かりますが、

   なるべく内務省が前面に出ないように陰で動こうとしている事がわかります。

   そのくせ募集人数を決定し、許可証を出しています。

   まさに軍・国家が関与している証拠文書です。

 

 現地の領事館も関係しています。

●在留邦人の各種営業許可及び取締りに関する陸海外三省関係者会同決定事項

   1938年4月16日  在南京領事館 (原文カナ・意訳)

          出席者  陸軍側  兵站司令官       千田大佐

                       第3師団参謀   栗栖中佐

                       第3師団軍医部   高原軍医中佐

                       南京特務機関   大西少佐

                       南京憲兵隊    山中佐

                海軍側  海軍武官         中原大佐

                       嵯峨艦長     上野中佐

                領事館側            花輪総領事

                                田中領事

                                清水警察署長

                   出席者以下省略

    会議で話し合われた要点

・・・・陸海軍に属する酒保および慰安所は陸海軍の直轄経営監督するものなので

領事館は関与しない。・・・・

将来兵站部の指導により作られるべき軍専属の特殊慰安所は憲兵隊の取締まるところにて・・・・

解説:これは軍と領事館の会議です。

 この会議の結果、慰安所に関しては領事館の手が届かないようになりました。

 つまり政治のコントロ-ルを外れて軍が仕切るようになったのです。

   そして「軍直営」の言葉も見えます。

 

●支那渡航婦女の取扱に関する件  機密第213号    1938年5月12  (原文カナ・意訳)

               在、山海関 副領事 佐々木高義から外務大臣 広田弘毅宛文書

2月23日付「内務省警保局長発、各庁府県長官宛通牒」によれば

醜業を目的とする婦女の支那渡航は満21歳以上の者となっているので当館でも、鋭意取締りをしているが、

本年10月当地を通過して北京に行く途中の旭川の業者が連れている芸妓4名の内3名はいずれも21歳未満にして、

かつ醜業を目的としている事は極めて明白である。

それにもかかわらず旭川警察署長発行の身分証明書を持参していたため仕方なく通過させた。

ほかにもこれに類する事2~3あり。

当方の今後の取締りの上に種々の影響を及ぼす恐れがあるため、調査の上お返事を頂きたい。

(その内3名は15歳、16歳、17歳でした)

解説:いくら領事館で取り締っても、内地の警察でさえ違法な募集に加担している。

 調査をして欲しいという依頼です。

 日本人女性を募集することですら違法なことをしたのですから、

 朝鮮人女性の募集はもっとひどかったことになります。

 

●済南行旅客の制限撤廃に関する件    1938年3月1日

朝鮮総督府外務課「昭和13年、昭和14年旅券例規」という公文書から

北支那派遣軍事務官 室田寅雄から朝鮮総督官房外務部長 宛  原文カナ・意訳

・・・・本年1月14日より、一般旅客の済南旅行を許可する事としたが、

これは特に身元を厳選して特務機関名の許可証を発行することとし・・・・

その期間に天津出張所で旅券許可証を発給した人数は、

          内地人  731名(内 女173名)

          朝鮮人  176名(内 女115名)

            計  907名 (このほかに軍憲兵隊で発給した者もある)

解説:在留邦人がほとんどいなく、

  厳しく旅行制限されていた済南に特務機関や憲兵の優先許可で女性が渡航しているのは

  軍慰安婦と言うことになります。

 

●台湾拓殖会社の資料

1939年に日本は海南島を占領しますが、すぐに陸軍省、海軍省、外務省で慰安所設置の計画をします。

そして台湾総督府を通じて海南島に進出した台湾拓殖(株)に

慰安所設置と慰安婦の徴集を依頼しました。

台湾拓殖という会社は外務・大蔵・陸海軍など各省の協力を得て設立された

半官半民の国策会社です。

台湾拓殖では直接そのような仕事をするのはまずいので、子会社の福大公司に任せる事にしました。

◎海南島海軍慰安所の件      昭和14年4月4日 社長、副社長、部長、課長の印またはサインあり

右に関し台湾総督府 木原調査部長より高山理事に対し左記人員供給派遣方依頼ありたり

              芸妓        10人

              芸妓兼娼妓     30人

              娼妓        50人

                計       90人

                  中略

然るに右慰安所資金供給を我が社にて取り扱うこと種々面白からざるに付、

差し当たり福大公司別口会計として左記事項と共に福大を通じ取扱いのこと

◎帝国議会説明資料 業務概要  昭和14年12月14日 台湾拓殖株式会社

         海南島に於ける事業

(イ)建築事業

(1)・・・・当社は現地三省(注:陸軍省、海軍省、外務省)連絡会議の要望により

   台湾総督府の下命ありたるにより爾来海南建物公司を設立し当該事業に着手し・・・・

(2)事業の進行状態   11月31日現在

工事名

構造

面積

施行社

海軍人夫収容仮宿舎

 

 同  附属家屋

海軍調査団厩舎及番人小屋

海軍慰安所

 

 以下省略

木造掘立造平屋建

屋根ル-フィング葺

  同

 同 屋根板葺

木造平屋建■小屋

屋根ル-フィング葺

56坪

 

23坪

53坪

 

307坪

田村組

 

  同

  同

 

  同

注:この海南島資料では軍や政府の意向を受け民間業者が工事を行い、

    しかもその民間会社も国家機関と同じですから、 みっともないので下請けにさせているのです。

   帝国議会に説明している位ですから、国自体の行為として良いでしょう。

 

●軍慰安所従業婦等募集に関する件   1938年3月4日 陸支密第745号 (原文カナ、意訳)

            陸軍省兵務課起案 副官より北支那方面軍及び中支那派遣軍参謀長宛通牒案

                (梅津美次郎陸軍次官や今村均兵務局長の決裁印があります)

支那事変地における慰安所設置の為、内地において従業婦等を募集する時に、

軍部了解の名義を利用して、軍の威信を傷つけさらに一般民の誤解を招いている。

従軍記者や慰問者等を通じて不統制に募集し社会問題となっている。

或いは募集担当者の人選適切でないために、募集の方法、誘拐で警察当局に検挙取調べを受ける者等、

注意を要する者が少なくない。

将来これらの募集に当たっては、

派遣軍において統制し、これに任ずる人物の選定を周到適切にし、

その実務に当っては関係地方の憲兵及び警察当局との連携を蜜にして、

軍の威信保持上並びに社会問題上遺漏なきよう配慮することを命(天皇の命令)により通牒する。

解説:以前でも軍が選定した業者が慰安婦の募集をしていましたが、

  その選定業者があまりにひどい募集をするので、困った軍は

  今後しっかりと選定しさらに警察や憲兵と協力するという意味です。

  そしてこの文章から分かる事は、

  内地つまり日本国内ですら誘拐まがいのひどい募集をしていた事です。

  すると植民地や占領地では慰安婦をどのように集めたのか分かるというものです。

 

●深田軍医少佐蘭印衛生状況視察報告   金原節三「陸軍省業務日誌摘録」より 1941年7月26日

・・・・現地土人は愛撫し、誠実をもってわが方に信頼感を抱かしむるよう言動に留意する要あり、

多くは回教徒にて一夫多妻の点あるも、貞操感も強く、

かりそめにも強姦等を行い日本軍紀に不振を抱くことのなきよう、厳重注意の要あり。

一方、原住民は生活難のため売淫するもの多し。

しかし、バンドンその他性病多きを持って、村長に割り当て、厳重なる検黴の下に慰安所を設ける要あり・・・・

解説:年号を見るとアジア太平洋戦争の前です。

  開戦の前にすでに村長に割り当てて強制的に軍の慰安所を作ろうという提案です。

 

●独立山砲兵第三連隊「森川部隊特種慰安業務に関する規定」 昭和14年11月14日 原文カナ・意訳

          (この資料は立正大学学生の松野誠也氏が防衛庁防衛研究所図書館で発見した物です)

森川部隊(連隊長森川清大佐)は昭和14年湖北省武西西方の葛店に警備隊として駐屯しました。

その時、葛店に2ケ所、隣の華容鎮に2ケ所の慰安所を開設しています。

その業務規定です。

更に、業務委員の名簿もあります。

まさにこの資料も軍自らが慰安所に関与した証拠といえます。

1 本規定は森川部隊警備地域内特種慰安業務に関し規定す

2 特種慰安所開設の趣旨は将兵殺伐の気風を緩和しもって軍紀振作の一助たらしむるにありて

   これが奨励又は宣伝に堕するの行為は厳に取締を要す

3 警備地域内の慰安業務を実施するため委員を任命す

         其の差出及び任務分担表は附表第1の如し

4 警備隊長は慰安業務を監督指導するものとす

5 慰安所及び食堂付近の警戒並びに軍紀風紀の取締は華容鎮及び葛店警備隊長の担任とす

6 慰安所は葛店及び華容鎮にこれを設く

7 特種慰安所に要する経費は一切経営者の負担とす

         而して経営者は左の諸項目を確実に実施すべし

         設置の趣旨に反し又は諸規定の履行不確なるものは営業を停止し或いは退去を命ず

             以下省略

附表第1 森川部隊特種慰安業務委員

任務

差出部隊

官名

慰安に関する業務の全般の統制

連本

村上大尉

第1第2慰安所及食堂の経営指導

 

中島少尉

内田中尉

原口准尉

第3第4慰安所及食堂の経営指導

 

古賀中尉

福田中尉

慰安婦の検査及衛生施設の指導

 

軍医各々

  解説:金銭的な経営だけ民間業者にまかせて、他の一切は軍が仕切っています。

         この形態の慰安所が最も多かったようです。

 

次はBC級裁判記録からです

●英国によるBC級裁判での訊問記録です。

この事件は、ビルマ南東部モ-ルメン地方のインド人の村、

カラゴンを襲った日本軍が600人以上の住民を虐殺した事件です。

日本軍の部隊は第33師団歩兵第215連隊第3大隊です。

この裁判で大隊長の市川清義少佐は死刑判決を受けています。

その中で慰安婦に関する部分の検察と大隊長のやり取りです。

このやり取りを見ると、女性の調達が軍の命令で行われた事がわかります。

      Q  どのようにして彼女たちを選んだのですか?

      A  私は女性たちに、チャウンナクアで我々のために働きたいと考える者で、

    子どもがいない者は志願してよいと言いました

      Q  選ばれた女性たちはみんな若い女性であったというのは事実ですか?

      A  はい

      Q  一般的に慰安婦として知られているように、日本軍に奉仕させるために地元の女性を集めるのは、

     日本軍がいつもやることではないですか?

      A  一般的な考えがどうであったのかは分かりません。

     私は彼女らを連れてくるように直接、命令され、そして連れてきたのです。

      Q  あなたは日本軍の慰安婦にするために彼女たちを連れてきたのではないか?

と私は言っているのです。

      A  日本軍では師団からの命令がなければ、慰安所でサ-ビスする女性たちを雇うことは出来ません。

                以下省略

 

●日本軍天津防衛司令部の例

治安戦や掃蕩戦をしている前線部隊から、慰安婦派遣の要請が防衛司令部にくると、

防衛司令部から「天津特別市政府」に対して慰安婦供出命令が出されます。

市長は警察局に対し依頼し、

警察局は天津特別市楽戸連合会に妓女の供出を入りする手順になっていました。

注1:天津特別市政府

  日本軍の特務機関によって作られた傀儡政権、

  王克敏の華北政権(華北政務委員会)のもとで北京、青島とともに特別市とさせた。

注2:楽戸連合会-当時天津には登録された妓女(公娼)が約3,000人いたといわれている。

  妓女を雇っていた妓院の経営者が日本軍の指導で組織した連合会。

  1936年に出来た。

◎1945年4月11日に天津防衛司令部から出された命令

        山東省の日本軍駐屯部隊に慰安婦を送るための命令です。

その時の高森副官の訓示は

「このたび日本軍を慰労するために行く事は大東亜聖戦の全面勝利に協力するものであり、

一地域の利害にこだわってはならない。速やかに手配せよ」

        (内容)

         (一) 慰労地点   山東省呂県第1437部隊

         (二) 慰労人数   25名(体が健康で、容姿が秀麗であることをもって合格とする)

         (三) 期限     3ケ月(8月1日から10月末)

1. 妓女本人は毎月小麦粉2袋、家族に対しては(5人を限度とする)1名、

  月ごとに雑穀30キロ(1キロ20元から40元)をいずれも天津で配給する

2. 妓女本人の食事、宿泊、衣類、化粧品、日用品、医薬品等はすべて軍隊から無料配給する

3. 花代 兵士は1回10元、下級士官は20元、恒久士官は30元(毎回1時間以内に限る)

         (四)旅費 軍隊が支給する

 

このように国の機関が公然と関与している事が分かります。

業者は在外公館(領事館)や警察の許可証や証明書を持つ事を義務付けられましたし、

実際に慰安婦を集めるためには憲兵や警察と協力して集めていたのですから、

一部の民間業者が勝手に慰安所を作ったのではない事は明らかです。

 

●元総理大臣中曽根康弘氏と慰安所

◎中曽根元総理は「23歳で3000人の総指揮官」という回想録の中で次のように述べています。

・・・・3000人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものが出てきた。

そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。

かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。

卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。

そして私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである。

◎高知市にある平和資料館・草の家のメンバ-が防衛省防衛研究所戦史研究センタ-で

 中曽根氏の関連資料を発見し2013年10月27日に発表しました。

 その資料を見てみます。

「航空基地第二設営班資料」

           資料は合計26枚です

             内容 表紙

 報告書

                 メモ

                 地図

             作成者 工営長 宮地米三

第二設営班  矢部部隊

        1. 編成

隊長  海軍技師   矢部雅士

工営長 海軍技師   宮地米三

軍区長 海軍軍医大尉 平敏郎

主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘

通信長 海軍兵曹長  宮西

職員  亀本技手始め別記の通り

徴用工員 約2,300名

兵員  看護兵曹、主計兵曹、通信兵等約40名

  2 装備

 1~4 省略

5 設営後の状況

・・・・蘭印作戦が始まると、工員連中ゆるみが出た風で、

又日本出航の際、約2ケ月の旨申し渡しありしため帰心矢の如く、

気荒くなり、日本人同士けんか等起るようになる。

主計長(注:中曽根)の取計で土人女を集め慰安所を開設、

気持の緩和に非常に効果ありたり・・・・

また、資料に付けられたメモにも慰安所の言葉が出てきます。

1 1942年3月11日のメモ

           10日に設営班全員第102海軍建設部に配属さる

           慰安所(設営班)開設

       これ以外のメモや地図にも慰安所の言葉が出てきます。

 

このような資料が発見されたため「河野談話」が発表されたのです。

 

具体的にどのような組織が慰安所に関与していたのか整理してみます。

    日本軍関係  軍中央  陸軍-参謀本部(大本営陸軍部)、陸軍省

                海軍-軍令部(大本営海軍部)、海軍省

              国内    各地の師団、連隊司令部

              国外    関東軍(満州)、朝鮮軍、台湾軍、支那派遣軍、南方軍

     (総軍、方面軍、軍、師団)

              軍政組織  陸軍-軍政監部

                      海軍-民生監部

    行政機関   中央政府  内務省(警保局)、外務省

             道府県    県知事、警察部

             植民地    朝鮮総督府-警察部

                      台湾総督府-警察部

             海外     海外、軍政組織

    民間     慰安所経営者

           間接関係企業-コンド-ム生産会社、船舶会社、金融会社

           軍以外の慰安所利用者-商社や企業の社員

 

これらの組織や会社に残された資料を調査すればもっと多くの事が分かる筈です。

 

 

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