講演録:南京事件の真実は?

拡大派と不拡大派
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最終更新日:2014/06/21 9:27

当然ですが陸軍内部では第二次上海事変を拡大するか拡大しないかと論争が続いていました。

拡大派としては、杉山元陸相、田中新一軍事課長、武藤章作戦課長、永野佐比重支那課長等が中心で、

中国軍の実力を軽視し、断固として一撃を加えれば早く終わる、と主張していました。

司令官に任命された松井石根大将は拡大派で、南京まで戦争を拡大したかったようです。

彼は南京まで行くつもりだったので8月18日の送別会で不満を表明し、参謀本部から注意されています。

* 参謀本部総務部長中島鉄蔵少将から上海派遣軍飯沼守少将への注意 (飯沼守日記から)

作戦命令も勅語も手続きは同様にて、作戦命令も勅語と同様のものにて、

これを批判するごときは不謹慎なれば、よく言うておいてくれ

それでも松井はその後も不満を漏らしています。

* 参謀本部首脳との会合での発言

国民政府存在する限り解決できず・・・・

蒋介石下野、国民政府没落せざるべからず・・・・

結末をどこにすべきやの議論あるも、

だいたい南京を目標としてこのさい断固として敢行すべし、

その方法はだいたい5~6師団とし、宣戦布告して堂々とやるを可とす・・・・

 

不拡大派は石原莞爾作戦部長が中心で「対ソ連を目標にした軍備拡張のため、

中国とはあまり深入りしないほうが良い」と主張していました

* 石原莞爾中将回応答録から

・・・・然るに責任者の中には満州事変があっさり推移したのと同様、

支那事変も片付け得るという通念をもつものもいました。・・・・

事変がはじまると間もなく傍受電により孔祥肌煕は数千万ドルの武器注文をどしどしやるのを見て、

私は益々支那の抵抗、決意の容易ならざるを察知いたしました。

即ちこの際、戦争になれば私は之は行くところまで行くと考えたので、

極力戦争を避けたいと思い、又向こうも避けたい考えであったようです。

さらに今日のようになったのは真に残念であり、又非常なる責任を感ずる次第であります。

* 同じく石原莞爾中将回応答録から

今次の上海出兵は海軍が引きずって行ったものといっても差し支えないと思う・・・・

私は上海に絶対に出兵したくなかったが実は前に海軍と出兵する協定がある・・・

注:1937年7月11日の北支作戦に関する陸海軍協定のこと

 

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