講演録:南京事件の真実は?

南京への戦争拡大
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最終更新日:2014/06/21 9:48

上海戦では中国側の防衛力が強大で日本側はかなりの死傷者を出しました。

当初の松井石根率いる上海派遣軍に対して大本営はどんどん兵力を増強し、

さらに柳川平助中将率いる第10軍(通称柳川軍団)が組織され広州湾から上陸しました。

その結果形勢は逆転し中国軍は撤退しました。

その時日本軍は最初の計画通り上海だけで戦争をやめるべきかどうか、

或いはそのまま戦争を続行してあわよくば南京まで進撃するのか議論が分かれました。

軍中央では拡大を防ぐため制令線を決めてその線より先に進撃しないように命令しましたが、

結果として第10軍の暴走をきっかけとして南京への進撃が始まってしまったのです。

その経緯を資料を交えて整理します。

*軍内部の不一致 陸軍省軍事課長の田中新一の手記。

南京攻略に関し、陸軍省首脳部は慎重論

軍務課長柴山謙四郎大佐のごときは南京攻略は

地形上不可能の理由をもって南京作戦阻止を大臣・次官に意見具申す。

参謀本部作戦課は積極的なり・・・・

軍中央の方針は拡大を防ぐため中支那方面軍の任務は上海付近の敵の掃討とし、

拡大しないように進出制令線(作戦範囲)を決めました

*参謀総長指示

中支那方面軍の作戦地域は概ね蘇州、嘉興を連する線以東とする

それ以降の流れですが、時間を追ってざっと言いますと、

* 11月9~13日 中国軍の退却が始まる

* 退却した中国軍を追撃して日本軍は制令線を無視して追撃を始めた

* 11日15日 現地の第10軍は独断で南京に追撃する事を決定。

*   19日 第10軍は傘下各師団に追撃命令を出した事を参謀本部に報告

* 20日 参謀本部は第10軍の独断決定に驚き、

 「第10軍の南京追撃は臨命第600号指示(作戦地区)の範囲を逸脱している」

 直ちに中止、制令線から撤退せよと命令を出した。

* 24日 中支那方面軍から「事変解決を速やかならしむるため、現在の敵の頽勢に乗じ

 「南京を攻略するを要す」との意見書が参謀本部に届く

 大本営は制令線の撤廃を指示した。

注:軍の中央は抑えようとし、現地軍が暴走したのです

* 25日 方面軍は体制を整えるために、無錫、湖州の線で爾後の作戦を準備せよと命じた

 しかし第一線部隊はこの命令も無視した。

注:現地の方面軍は待機命令を出しましたが、第一線部隊は無視したのです。

 

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