講演録:南京事件の真実は?

南京突入
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最終更新日:2014/06/21 9:53

正式に天皇から攻撃命令が出たのですから、今度は南京城突入の一番争いが始まりました。

現地軍は12月8日の4時頃飛行機で日本語と中国語の「投降勧告文」を城内に投下しました。

*勧告文

日軍百万すでに江南を席巻せり。

南京城は正に包囲の中にあり、

戦局の大勢よりみれば、今後の交戦はただ百害あって一利なし・・・・

日軍は抵抗者にたいしてはきわめて峻烈にして寛怨せざるも、

無辜の民衆および敵意なき中国軍隊にたいしては寛大をもってし、これを犯さず・・・・

しかして貴軍交戦を継続せんとするならば、

南京はいきおい必ずや戦禍を免れ難し。

しかして千載の文化を灰燼に帰し、十年の経営はまったく泡沫とならん。

よって本司令官は日本軍を代表し貴軍に勧告す。

すなわち南京城を和平裡に開放し、しかして左記の処置に出でよ。

        大日本陸軍総司令官  松井石根

この勧告文が守られれば良かったのですが、

その後一切守られる事はなく南京事件と言われる忌まわしい事が起きてしまったのです。

 

12月13日に南京は陥落し一応戦争は終結しました。

天皇は司令官松井石根に対して「ご苦労であった、将兵を慰労せよ」と告げました。

天皇の命令を無視して暴走をしていたのに、結果として「お褒めの言葉」を賜った。

ですから司令官は感激して,すぐ正式な南京城入城式を行うと決めたのです。

戦闘終了直後で治安が悪いため多くの幹部は反対しましたが入城式は強行されました。

実は副司令官は皇室の朝香宮だったため、万が一のことがあると困ります。

そこで入城式の前に南京をきれいに片付ける事が決められました。

そして数万の捕虜が殺害されたのです。

つまりこの殺害は戦争終了後の殺害と言うことになりますね。

 

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