終わりに

このレポ-トの最初「日本人と歴史認識」で、

韓国とドイツからの発言を書きました。、

締めくくりには、

アメリカとドイツからの発言を書きます。

 

まずアメリカですが、

2013年10月23日、新聞に投稿されたものです。

スタンフォ-ド大学アジア太平洋研究所の

ダニエル・スナイダ-副所長の意見です。

 

●テ-マ「北東アジアの和解 戦後処理に米が責任結果せ」

 ・・・・日本は悲しい過去を十分くぐっており、

 前を向いて進む時だと

 多くの日本人が感じていることは理解できる。

 だが過去は今も「過去」になっていない。

 和解の責務は現在の問題である。

 政治的指導力さえあれば、

 この地域の各政府が和解を導く

 現実的な解決策を取ることはできる。

 米国は、未完の戦後処理と、

 和解を阻んできた冷戦システムについて

 歴史的な責任を負っている。

 同盟国である日韓間などの

 歴史問題で起きる緊張により、

 米国の国益が脅かされてもいる。

 最大の課題は、

 従軍慰安婦など強制労働制度の犠牲者への補償だ。

 米国の支援もあって日本は、

 サンフランシスコ講和条約と、

 中韓との国交正常化の合意により

 補償問題は解決済みと主張してきた。

 だが法学者たちは、

 国家間の決着は個人の請求権を禁じてないと論じている。

 韓国の裁判所は最近、その国際法の原則にもとづき

 日本企業で強制連行された

 労働者の請求権に勝訴を言い渡した。

 日本はこの問題を外交関係への脅威と見るのではなく、

 正義を実現する機会と見るべきだ。

 ドイツで2000年にできた基金「記憶・責任・未来」を推薦したい。

 52億ユ-ロ(約6800億円)の基金は、

 独政府と強制労働者を使った独企業との共同事業だ。

 100近い国々の166万人超の戦争生存者

 補償金を支払い、研究教育活動を続けている

 基金の設立ではクリントン米政権の高官らが

 主要な役割を果たした。

 米国の裁判所を舞台に、

 独企業を相手取って起こされた数々の訴訟が背中を押した。

 ドイツとの緊張を和らげ、

 全強制労働者の問題を解決することが

 米国の国益にかなうと見たからだ。

 米国は今日も同様な役割を果たす必要がある。

 アジアで同様の基金が成功するには、

 犠牲者を抱える各国が

 補償の最終決着として基金を公に受入ねばならない。

 どの国にとっても勇気の要る困難な道だろう。

 米国は戦後問題について

 中立を装う姿勢を改め、動き出すことが肝要だ。

 日本の首相は、

 歴史問題をめぐる自己弁護の習性を脱し、

 率先して行動を起こさねばならない。

 

次はドイツです。

2013年9月4日、

ドイツのヨワシム・ガウク大統領が

第2次世界大戦中にナチスの親衛隊により

住民のほとんどが殺害された

フランス中部のオラドゥ-ル村を訪問しました。

日本のことには触れていませんが

戦争責任としては共通していますので掲載します。

 

駐日ドイツ大使館ホ-ムペ-ジから

●追悼演説

 ・・・・フランス及びフランス国民にとり、

 そしてとりわけこの虐殺を逃れた方々や

 残忍な殺され方をした人々のご遺族にとり、

 この決断(注:独大統領を招待した事)が

 どのような意味を持っているかについて、

 ドイツ大統領として推し量り、

 また一人の人間として察することができます。

 なぜなら、ドイツ大統領を招待することは、

 歓迎の表れ、善意の表れであり、

 それは懇願して得られるものではなく、

 ただ贈られてえられるものであると承知しているからです。

 ・・・・和解の意思の表明がいかに

 寛大なものであっても、

 ドイツ人がこの地で犯した重い罪に向き合うとき、

 深い驚愕の念を免れることはありません。

 これまでにもドイツを代表する

 多数の人々やドイツの国民が、

 ナチスドイツが犯したすべての犯罪と同様に、

 この地で犯した罪を認めてきました。

 そして私も今日これに倣い、はっきりと申し上げます。

 オランドゥ-ル村を治め、

 恐怖と残虐行為の舞台となった欧州各地のことを、

 私たちは忘れることはないでしょう。

 ・・・・我が国を二度と、

 狂信的な民族優越主義、犯罪、殺戮、戦争など

 イデオロギ-に突き動かされた

 非人間性の牙城とはさせず、「良き隣人たちの国」にしたい、

 欧州や国際社会に実りをもたらす一員、

 安定した民主主義の国、

 平和の推進力となるようにということです。

 これが、残忍行為や戦争に対する答えであるばかりでなく、

 遅ればせながらの過去との取り組み、

 償われることがなかった犯罪行為、

 意識の抑圧、

 そしてまた単純な無知にたいする回答でもありました。