慰安婦の数、出身国、仕事

正規の慰安所、臨時の強姦所、

強姦で一体どれだけの女性が働かせられたり

或いは被害にあったのかはっきりとは分かりません。

証拠が残っていない事は何度も言いました。

わずかな資料から正規の慰安所の人数を探って見ます。

       (注:全てが強制とは限りません)

 

「慰安婦の人数」

● 華北 北支那警務部「人職業別人口統計表」

              1939年7月1日

 芸妓、娼妓、酌婦その他の人数   8,931名

 

● 華南 戦時旬報(後方関係) 

    広州の第21軍司令部作成 

    1939年4月(原文カナ)

 1. 慰安所は所轄警備隊長及び

  憲兵隊監督の下に警備地区内

  将校以下のために開業せしめたり

 2. 省略

 3. 現在従業婦女の数は概ね1,000名内外にして、

  軍において統制せるもの約850名

  各部隊郷土より呼びたるもの150名と推定す

 右の他、第一線において慰安所の

 設置困難なるものにして

 現地の者を使用せるもの若干あり

  注:この数は憲兵駐留地だけの集計です。

    また他の所では現地の者つまり

    中国人を慰安婦にしていますから、

    実際には相当の数になると思われます。

    さらに、指揮下の小規模部隊が

    徴発した慰安婦も相当いたはずです。

 

● 第21軍松村軍医部長の陸軍省医務局の会報での発言     

     1939年4月15日                         

     金原節三「陸軍省業務日誌摘録」から

 性病予防のため兵100人につき

 1名の割合で慰安婦を輸入す

 治療は博愛病院にて行い、

 その費用は楼主これを負担す。

 検黴は週2回。

  注:広東に駐留していた第21軍が、

    兵員の増加に備え性病予防のため、 

    中国以外から(朝鮮)慰安婦の

    輸入をしよう とした内容です。

 

● 上海師範大学教授 蘇智良氏の調査から

 1937年末に杭州一帯だけで

 拉致された中国女性は20,000人に達した。

 中国人慰安婦の総数は

 控えめに見て20万人以上になる。

 それには数日間以内の強姦されたケースを含まない

 

第21軍の松村軍医部長の発言では

兵100人に慰安婦1人」となっています。

この率で計算すると、

戦争の全期間で日本軍人の

数が300万人だったとすると、

3万人の慰安婦が必要だった事になります。

軍人の総数が500万人だった場合は

5万人の慰安婦となります。

しかも軍の計算した正式な慰安婦の必要数です。

また1941年、満州の関東軍は

ソ連戦に対する準備と威嚇として、

平時編成(12個師団、兵力35万)を戦時編成にして、

16個師団、85万の兵力を動員する計画を立てました。

いわゆる関特演(関東軍特種演習)です。

この軍人に提供するために、

関東軍は既にいる慰安婦とは別に

2万人の朝鮮人慰安婦を集める計画を立てました

 注:

  1. この内容は当時関東軍

   参謀本部兵站班に勤務していた     

   村上貞夫氏から千田夏光氏への手紙にあります。

  2. 関特演時の慰安婦動員を計画したのは原善四郎参謀で、

   「命令、伝達、通達、配置指示及び

   業者との接触等事務処理」を     

   担当したのは村上貞夫本人です。

  3. 最初は日本人慰安婦を徴発する予定だったが、

   間に合わず朝鮮人慰安婦とした         

  4. 朝鮮では既に慰安婦を徴集しつくしていたため、

   3000人位しか集まらなかった。

関特演の計画では平時に35万の兵力、

戦時編成で85万、

つまり50万の兵が増える事になります。

もともと慰安婦はいたわけですから、

兵力が50万増えるのに対して

2万人の慰安婦を必要としたわけです。

割り算すると

25人の兵隊に1人の慰安婦と言うことになります。

よく言われるニクイチ(291)

つまり29人に1人に近い数字です

 注:正式な用語ではないが、

   一般兵士の中でよく使われた言葉です。     

   日本軍では兵隊29人に1人

   慰安婦がいたという噂話です。

この率で計算すると、日本軍の兵士が

300万人だった場合慰安婦は12万人、

600万人だったら24万人となります。 

慰安婦の交代や死亡があれば

更にこの人数は増えます

 

研究者が割り出した数字を見てみます。

● 千田夏光「従軍慰安婦」  

     80,000人

● 金一勉 「天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦」 

     170,000~200,000人

● 秦郁彦「昭和史の謎を追う」 

  兵員50人に1名の慰安婦とした場合                       

  平均300万人の兵隊とした慰安婦の数は                        

  慰安婦が交代しなかった場合 60,000人                         

  1度交代した場合      120,000

 

日本は戦争中に労働者として

多くの中国人や朝鮮人を

拉致強制連行しましたが、

その連行した労働者にも

慰安婦をつける計画がありました。

参考までにその数字を見てみましょう。

 ● 石炭統制会の苦力使役に関する件 

     1942年10月21日   

   1,000人に20~30人

   33~50人に1人

 ●   同上        10月24日         

   1,000人に40~50人  

   20~25人に1人

 ● 富山・伏木港湾会社の計画 1943年夏          

   224人に9人

   25人に1人

このような数字になっています。

 

強制連行した労働者にすら

この位の慰安婦をあてがう

計画だったのですから、

軍人にはもっと優遇した筈だと思えます。

では実際にはどの位の慰安婦が

いたかということですが、

当然ながら正確には分かりません。

先ほども書きました「ニクイチ」で29人に1人、

まあ30人に1人として計算してみます。

  兵隊300万

  慰安婦2交代 

    (戦争期間中15年も続けられないでしょう)

   3,000,000÷30×2=200,000人

  慰安婦4交代の場合   

  40万人になります。

正確ではありませんが、

日本軍の兵隊全員が慰安婦を必要とした場合

2交代で20万人の慰安婦が必要になると考えられます。

勿論慰安婦を必要としない兵士も沢山いた事は事実ですが・・・・

逆に強姦の数字が含まれていないのは当然です。

 

このように慰安婦の人数というのは

あくまでも推測に過ぎません。

慰安婦達は人間ではなく軍需物資として

扱われたため更に資料は不足しています。

もちろんが問題なのではなく

人権侵害、女性差別、人種差別が

問題である事は当然です。

 

[慰安婦の出身国]

慰安婦にさせられた女性たちの主な出身国

 日本、朝鮮、中国、台湾、フィリピン、

 インアドネシア、ベトナム、ビルマ、

 インド、シンガポ-ル、マレ-、

 オランダ、オストラリア(?)です。

つまり日本軍が関係した全ての国です。

先ほども書きましたが総数は分かりません。

植民地だった事と中国語が通じない便利さで、

日本軍は正式に(?)多くの朝鮮人女性を慰安婦にしました。

日本軍が関係した全ての慰安所に朝鮮人女性がいました。

というより、全ての慰安所にいたのは朝鮮人女性だけなのです。

その数は20万人以上とも言われます。

年齢は未成年が多く、

韓国の証言では89%が未成年となっています。

中国では侵略した敵の軍隊に

協力するはずがありませんから、

中国人慰安婦はすべて強制連行でしょう。

東南アジアの被害者も同じ事だと思います。

 

[慰安婦が相手をした人数]

慰安婦が1日に何人の日本兵を相手にしたのか?

このような数字には何の意味もありません。

たとえ1人の客でも性行為を強制されればレイプです。

しかし、いかに過酷な仕事(?)だったのか、

を知るためにあえて書きます。

この数字は1994年に韓国の挺身隊問題対策協議会が

元慰安婦31人から聞き取りした数字です。

    週間金曜日 1994年8月5日号から

1日に相手をした客の数

証言した慰安婦

3人以下

1人

4~5人

2人

7~8人

3人

10人

2人

15人

5人

20人

3人

25人

6人

30人

2人

35人

4人

45人

1人

多すぎて分からない

1人

絶対に人には言えない

1人

注:記録があるわけではありませんし、

  会社のように毎日決まった仕事を

  しているわけではありません。  

  場所、時期によっても異なりますので

  一応の目安です。