南京軍事法廷 1

1947年に南京軍事裁判の判決が出ました。

3月と12月に 4人の日本人将校が死刑判決を受け、

谷寿夫は47年4月、他の3人は48年1月に処刑されました。

市中引き回しの公開処刑でした。

 

[ 死刑判決を受けた4人の判決]

 ● 谷 寿夫(第6師団長)

  戦争作戦期間中、ほかの兵士と共に、

  捕虜および非戦闘員の虐殺に参加、

  ならびに強姦・略奪・財産破壊などの暴行を行ったこと

    →1947年4月26日、死刑執行

 ● 向井 敏明(16師団小隊長)及び 野田 毅(16師団大隊副官)

  両名は戦争期間中、

  ともに無垢の人々を繰り返し虐殺し、

  なおかつ、ゲ-ムとして殺人競争を行った。

     注:当時100人切競争として

       日本の新聞紙上で英雄視された

    →1948年1月28日、死刑執行

 ● 田中 軍吉(第6師団中隊長)

  捕虜及び非戦闘員の連続殺戮

 

この内第6師団長・谷寿夫の判決内容です。

      注:井上久士氏が訳したものを引用します

        (南京事件資料集から)

 

[国防部戦犯裁判軍事法廷の戦犯谷壽夫に対する判決書]

            1947年3月10

国防部戦犯裁判軍事法廷判決36年度審字第1号

 公訴人 本法廷検察官

 被告  谷壽夫 男 66歳 日本人

      住所 東京都中野区富士見町53号

      日本陸軍中将師団長

 指定弁護人 梅祖芳弁護士

       張人徳弁護士

右被告の戦犯事件につき、

本法廷検察官の起訴を受け、

本法廷は左の如く判決を下す。

 ● 主文

  谷壽夫は作戦期間中、

  兵と共同してほしいままに

  捕虜および非戦闘員を虐殺し、

  強姦、略奪、財産の破壊をおこなったことにより死刑に処す。

 ● 事実

  ・・・・中国側は南京上海沿線の戦況が

  しきりに不利を告げたので、

  陣地を移して南京の防衛をかためた。

  日本軍閥は首都を抗戦の中心とみなして、

  その精鋭にして残虐な第6師団谷壽夫部隊・第16師団中島部隊・

  第18師団牛島部隊・第114師団末松部隊などを糾合し、

  松井石根大将の指揮のもと力をあわせて攻撃してきた。

  中国軍の強力な抵抗にであったので、

  その恨みを晴らそうと入城後計画的な

  虐殺をおこない報復したのである。

  谷壽夫が率いる第6師団は先鋒部隊をつとめ、

  民国26年12月12日日暮方、中華門を攻略し

  戦闘部隊が縄梯子をのぼって中に入った。

  これがすなわち虐殺の始まりであった。

  翌朝また大群を率いて入城し、

  中島・牛島・末松などの部隊と

  南京市各地区に分かれて押し入り

  大規模な虐殺を展開し、放火・強姦・略奪をおこなった。

  調査によれば虐殺が最もひどかった時期は

  この26年12月12日から同月の21日までであり、

  それはまた谷壽夫部隊の南京駐留の期間内である。

  中華門外の花神廟・宝塔橋・石観音・下関の草鮭峡などの

  箇所を合計すると、

  捉えられた中国の軍人・民間人で

  日本軍に機関銃で集団射殺され遺体を焼却、

  証拠を隠滅されたものは、短燿亭など19万人余りに達する。

  このほか個別の虐殺で、遺体を慈善団体が埋葬したものが

  15万体余りある。

  被害者総数は30万人以上に達する。

  死体が大地を多いつくし、悲惨きわまりないものであった。

     中略   

  12月12日から同月21日までで、

  首都の無辜の軍人と民間人が日本軍に惨殺された事件で

  調査できたのものは886回に達している。・・・・

  日本軍は入城後、四方に強姦に出かけひとえに淫欲を逞しくした。

  外国人の組織した国際委員会の統計によれば、

  民国26年12月16日・17日の両日

  中国の女性で日本軍に蹂躙された者は1000人を越えている

  その上方法の猟奇的で残忍なこと、実に前代未聞である。・・・・

  南京に留まった中国女性で身に危険がなかった者はおらず、

  そこで国際委員会の画定した安全区に相継いで避難した。

  日本軍は国際正義を顧みるどころか、

  ついにその獣欲を存分に発揮し、

  夜ごと闇に乗じて塀をこえて侵入し、

  部下に以前どおりほしいままの暴虐を

  したい放題にさせておいた。・・・・

  公有私有の財産の損失は数字で計算できないほどである。・・・・・

  12月20日まで全市で計画的な放火行為がおこなわれ、

  市中心地区の太平路は一面炎につつまれ、

  夜になってもやむことがなかった。・・・・

  さらに日本軍は貪欲さが性になっており、

  食料・家畜・食器・骨董品など

  なんでも略奪しないものはなかった。・・・・

  すなわち国際赤十字病院内で看護婦の財物、

  病人の布団、難民の食料もすべて略奪された。・・・・

  数々の非法行為は数え上げることができないほどである。

  日本の降伏後、谷壽夫は東京で逮捕、

  中国駐日代表団を通じて南京に護送され、

  本法廷検察官の取調べにより起訴された。

 ● 理由

  ・・・・監督不行届きによる偶発事故とは

  明らかに異なるものである。

  まして当時南京に滞在していた外国人は、

  国際団体の名義で26年12月14日から21日まで、

  すなわち被告の部隊駐留期間に前後12回、

  日本軍当局と日本大使館にそれぞれ

  厳重な抗議をおこなっているのである。

  その上覚書の中で

  日本軍の放火・殺人・強姦・略奪といった暴行、

  合計113件を付録につけ、

  日本軍が注意して部下を取り締まり、

  暴行の拡大を防止するよう要請している。

  かかるに被告等各軍事指揮者は見ないふりをして、

  従来どおり兵を放任、暴虐をほしいままにさせておき、

  そのうえこともあろうにこの悲惨な虐殺都市の状況を

  映画フィルムや写真に撮り、戦績の表彰に利用しようとした。

  それによって共同攻撃した各軍事指揮者が

  計画した意図に基づき、共同で兵を放ち、手分けして攪乱し、

  計画的で大規模な虐殺・放火・強姦・略奪をおこなったことは

  明白である。    

    中略   

  調査によれば被告は作戦期間中凶暴残虐な手段をもって、

  兵を放任し捕虜および非戦闘員を虐殺し、

  ならびにほしいままに強姦・略奪・財産破壊などの

  暴行をおこなったことは、

  ハ-グ陸戦法規および戦時捕虜虐待遇条約の各規定に違反し、

  戦争犯罪および人道に反する罪を構成すべきものである。・・・・

  人類文明の重大な汚点となっただけでなく、

  その内心の陰険さ、手段の悪らつさ、

  被害の惨烈さを考えるとき、哀れむことはできない。

  極刑を与え、もってあきらかな戒めを示すべきである

          以下裁判官等の名前に続く為省略