尖閣に関する投稿への返事と薬の副作用の加筆です
まず、読者から次のような投稿がありました。
返事を書こうと思いましたが、アドレス不明の為この場にて返事を書きます。
投稿要旨
◎魚釣島には缶詰工場があり日本人が住んでいた・・・・
◎難破船救助の件で中国政府の書簡に尖閣に対する抗議について書かれていなかった
お答え
◎明治26年6月、熊本県、鹿児島県の漁民が尖閣列島付近で遭難し、中国に助けられ日本に送り返された。
外務大臣陸奥宗光は感謝の手紙を出し、中国は通常の返信をした。
この時点では尖閣の領土問題や抗議はしていません。だからといって日本領土だと認めたことにはなりません。
◎明治27年12月、野村内務大臣は陸奥宗光外務大臣に尖閣の国有化を要請。
閣議で内々国有化決定
◎明治28年1月、久場島と魚釣島の国有化を決定
大正島は大正9年に国有化
◎明治28年4月、日清戦争で日本は勝利し、講和条約第2条で日本領土となる
このような時間系列で見ると、難破船の問題は国有化決定の以前です。
そして国有化の後で日本人が羽毛や缶詰の工場を作ったと思われます。
以上がお答えです。
今日の更新は
「健康」ジャンルの
「副作用のある薬」に
「副作用が報告された薬の一覧 4」を書きました。
明治時代なら沖縄は日本では?
魚釣島には缶詰工場が有って日本人が住んでいた時期がありました
↑
あと、沖縄返還時に中国の新聞が、
中国が領土問題にしたのは上記の後に「海底資源が在りそう」