南京事件

第2次上海事変までの海軍の動き
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最終更新日:2017/02/18 11:09

実は日本軍内部では上海や南京に対する攻撃をかなり早い時期からは計画していたようです。

海軍の動きを書く前にそのことに触れます。

それから海軍の話に入ります。

●日中歴史共同研究報告書・中国側の栄維木氏の論文

すでに1936年8月に参謀本部が制定していた1937年度の対中国作戦計画のなかに、

上海、南京を占領する計画が盛り込まれており、

その主要な戦略構想は「第9軍(3ケ師団)を持って上海附近を占領する・・・・

新たに第10軍(2ケ師団)を杭州湾に上陸させて、

太湖南側から進め、両軍策応して南京に向かい作戦し、

上海、杭州、南京を含む三角地帯を占領、確保するよう計画した」というものであった。

盧溝橋事変が発生した後、日本軍は基本的にこの作戦計画に従って行動したのである。

注:日本の防衛庁防衛研究所戦史室「支那事変陸軍作戦 1.」を参考

注:日中歴史共同研究は2006年に安倍晋三総理と胡錦濤国家主席の合意で始まりました。

    日本側座長は北岡伸一東大教授、中国側座長は歩兵社会科学院近代史研究所長です。

 

当時の上海は海軍陸戦隊が統治していました。

その頃は国家の軍事予算の面でも陸軍と海軍の対立があり、陸軍優位でした。

ロンドンの海軍軍縮会議で艦船の制限が議題になっていたことから海軍の焦りがあり、

海軍では航空機による予算拡大を計画していました。

陸軍ではその頃「次は上海で海軍が何か事を起こすぞ・・・・」と噂をされていました。

そこでその頃の海軍の動きを時間的に見てみます。

 

まず1936年です。

1936年は海軍の画期的な攻撃機が完成しました。

96式陸上攻撃機です。

この陸上基地発進の長距離攻撃機が完成したことから海軍の航空戦略は大きく飛躍しました。

9月23日夜、第3艦隊軍艦出雲の水兵が中国人から撃たれる出雲水兵射殺事件が起きました。

それをきっかけに軍令部と海軍省は協議の上、出動を指令し対支時局処理方針を策定しました。

●出動指令

1.第8艦隊、第3及び第22駆逐隊を急速佐世保に急行、上海方面に回航させる

2.呉鎮守府特別陸戦隊1個大隊を上海方面に派遣する

3.第11航空隊(大型攻撃機4、中型攻撃機6、戦闘機12)を特設し、台北に集中させる

4.上海公大飛行場の準備を指示する

●9月26日 対支時局処理方針

第二 処置

1 速やかに対支膺懲の国家的決意を確立し、特に陸軍に対し速やかに海軍と同一歩調を執らしむるごとく努む

2 対支準備を整えるとともに、すでに発令の増派兵力の威圧により外交交渉を促進せしむ

3 右要求に応ぜざる場合

(1)上海の固守(海陸軍協同)

(2)青島の保障占領(海陸軍協同)

(3)中南支の要点の封鎖(海軍兵力)

(4)中南支航空基地並びに主要軍事施設等の爆撃(海軍兵力)

(5)北支に陸軍の出兵

 

そして1937年に入ります。

1月には海軍航空隊は爆弾を装備して何かの際にすぐ出撃できる体制をとりました。

●1月8日、海軍中央が「対支時局処理方針」決定した。

2 特別陸戦隊 基本兵力は上海2000、漢口200とし、

   当分の間、上海に200、 漢口に100増強す

4 内地待機兵力は左記の外これを解く

(1)11,12,13航空隊および各鎮守府特別陸戦隊各1個大隊の準備は当分そのままとする

(2)第1、第2航空戦隊には爆弾および所要兵器を搭載のままとし急速派遣に応じ得しむ

(3)第8戦隊、第1水雷戦隊は対支応急派遣に応じ得るごとく必要なる準備をなし置かしむ

5 飛行基地の整備

(1)台北、済州飛行基地はこれを整備し、応急使用可能の状態にたもつ

(2)上海公大飛行基地の急速整地準備を完成しおき、応急使用を可能ならしむ

7月7日に盧溝橋事件が発生すると海軍はすぐに行動を起しています。

盧溝橋事件の翌日には早くも、南京渡洋爆撃(8月15日)の搭乗員が出撃準備の命令を受けています。

      注:津航空部隊土屋誠一回想録から

●7月11日、「特設連合航空隊」2隊を編成

第一連合航空隊 司令官:戸塚道太郎大佐

木更津航空隊 司令:竹中龍造大佐

鹿屋航空隊  司令:石井芸江大佐

第二連合航空隊 司令官:三並貞三大佐

第12航空隊  司令:今村侑大佐

第13航空隊  司令:千田貞敏大佐

注:盧溝橋事件の直後です。

   海軍は盧溝橋事件の直後から南京への爆撃準備を始めていたことになります。

●7月12日、海軍軍令部は「対支作戦計画内案」を策定する。

一 作戦指導方針

自衛権の発動を名として宣戦布告はおこなわず

  ただし彼より宣戦する場合または戦勢の推移によりては宣戦を布告し、正規戦となす

二 用兵方針

① 省略

② 戦局拡大の場合おおむね先方針により作戦す(第二段階)

(ロ)中支作戦は上海確保に必要なる海陸軍を派兵し

  且主として海軍航空兵力を以て中支方面の敵航空勢力を掃蕩す

(ホ)封鎖線は揚子江下流および浙江沿岸その他わが兵力所在地付近に於いて

  局地的平時封鎖を行い支那船舶を対象とし・・・・

  ただし戦勢の推移いかんによりては地域的にも内容的にもこれを拡大す

(ル)上海陸戦隊は現在派遣のものの外2ケ大隊を増派し、

  青島には特別陸戦隊2ケ大隊を派遣す、

  何れも其れ以上に陸戦隊を必要とする場合は一時艦船より揚陸せしむ

(ヲ)作戦行動開始は空襲部隊のおおむね一斉なる急襲をもってす。

第1、第2航空戦隊をもって杭州を、

第一連合航空をもって南昌、南京を空襲す

爾余の部隊は右空襲とともに機を失せず作戦を完了す。

第二連合航空隊は当初北支方面に使用す。

空中攻撃は敵航空勢力の覆滅を目途とす。

●海軍軍令部の「対支作戦計画内案」に対する第三艦隊司令長官長谷川清中将の意見書

武力による日中関係の現状を打開するには、

現中国の中央勢力を屈服させる以外道はなく、

戦域局限の作戦は期間を遷延し、敵兵力の集中を助け、作戦困難となる虞大である。

故に作戦指導方針関し、「支那第29軍の膺懲」なる第1目的を削除し、

支那膺懲」なる第2目的を作戦目的として指導されるを要し、

用兵方針についても最初から第2段階作戦開始の要がある。

更に中国の死命を制するために上海、南京を制するを最重要とし、

中支作戦は上海確保及び南京攻略に必要な兵力とし、中支那派遣軍は5コ師団を要する。

又開戦当初の空襲作戦の成否いかんはその後の作戦の難易遅速を左右するかぎであるから、

使用可能の全航空兵力をもってし、第2航空戦隊の当然これに含ませる要がある。

●7月19日 中国現地の第三艦隊司令長官長谷川清中将は意見書の通り上記作戦行動を内示した

●7月27日、海軍省と海軍軍令部は協議し「時局処理および準備に関する省部協議覚書」を決定した

1.方針

事態不拡大、局地解決の方針は以前堅持するも、

今後の情勢は対支全面作戦に導入機会大なるをもって、

海軍としては対支全面作戦に対する準備を行うこととす

注:表面的には不拡大を装いながら

   南京への全面戦争を準備していたことが分かります。

●7月28日 軍令部は第4水雷戦隊を編成して第2艦隊に編入し、

 新しく組織された第9戦隊および第3水雷戦隊と連合艦隊付属の第12戦隊の3個戦隊を

 第3戦隊に編入して戦力を大幅に増強した。

●8月8日 木更津航空隊5個分隊は大村基地に進出し出撃待機をする。

      注:木更津航空隊第2中隊長田中次郎大尉の回想(笠原十九司「海軍の日中戦争」)より

 同日   鹿屋航空隊、18機も台北基地に移動し出撃準備に入る

●8月9日、大山勇夫中尉殺害事件

●8月10日、呉海兵集団の呉第2特別陸戦隊が出航、13日から上海での戦闘開始

注:大山事件の前日に出撃準備し、翌日に出動したことは

    あらかじめ準備されていた謀略をうかがわせます。

このように政府や陸軍が和平工作をする中、海軍は拡大の準備を秘かに行い、

そのさなかに和平交渉を邪魔するように大山中尉事件は起こりました。

注:8月4日 船津辰一郎が和平の為派遣

    8月7日 外務省作成の「日華停戦条件」決定

    その後本格交渉が進む予定だった

 

次回は大山中尉の殺害について書きます。

 

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