南京事件

第二次上海事変から全面戦へと拡大 1
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最終更新日:2017/03/18 10:43

大山中尉殺害事件は1937年8月9日です。

その後事件はどのように拡大し、事変になったのか時間の流れで見ます。

非常に手っ取り早く事が進むのがわかります。

8月10日から書きます。

●8月10日 呉海兵集団の呉第2特別陸戦隊が出航、13日から上海での戦闘開始

     同日   海軍軍令部は「大山事件対処方針と時局処理方針」を決定

●大山事件対処方針と時局処理方針

要旨

大山事件の解決は将来この種事件の根絶を期する方針とし、

左記要求事項の充足を目途として交渉するを要す。

而して支那側当事者に於て解決実行に対し誠意を示さざるに於ては、

実力を以て之を強制するも敢えて辞せざる決意あるを要す。

要求事項

1. 事件責任者の陳謝及処刑

2. 将来に対する保障

(1)     停戦協定地区内に於ける保安隊員数、装備、駐屯地の制限

(2)     右地区に於ける陣地の防衛施設の撤去

(3)     右の実行を監視すべき日支兵団委員会の設置

(4)     排抗日の取締励行

 

同8月10、 軍令部や伏見宮総長から海軍省に陸兵派遣の要請が出されたが、

米内海軍大臣は和平交渉が進行中のため陸軍派兵は見送る方針を表明した

●8月12日 上記海軍の要求事項を受けて中国国民党は中央常任委員会を開催し、

  蒋介石軍事委員会委員長は「承認することは不可能」「戦闘準備の命令」を出しました。

● 同日   海軍軍令部総長伏見宮から長谷川清第三艦隊司令長官に機密電報による指示がされた。

◎機密電報

1. 第三艦隊司令長官は敵総攻撃し来らば上海居留民保護に必要なる地域を確保すると共に

  機を失せず航空兵力を撃破すべし

2. 兵力の支出に関する制限を解除

●   同日   軍令部第一部長の近藤中将から第三艦隊司令長官宛に陸軍の派兵に関する機密電報が出された。

◎機密電報

陸軍出兵は未決定なるも出兵の場合は2個師団同時派兵のことに協定しあり。

但し陸軍の前進攻撃行動開始は概ね動員20日後なるに付、

其の間海軍陸戦隊の戦闘正面は成るべく之を拡大することなく、

陸軍派兵を待つ如く考慮あり度。

注1:陸軍の準備は20日要するということです。

    このことでも海軍が事前準備をしていたことがこれでも分かります。

注2:石原莞爾中将回応答録から

    今次の上海出兵は海軍が引きずって行ったものといっても差し支えないと思う・・・・

  私は上海に絶対に出兵したくなかったが、

  実は前に海軍と 出兵する協定がある・・・・

● 同日   第三艦隊司令長官は南京等への空襲命令を発令し、

第1連合航空隊、第2連合航空隊は出撃待機を整えた。

● 同日   長谷川第三艦隊司令長官は陸軍派兵をの緊急要請をした。

首相、海相、陸相、外相の緊急4相会議が開かれ、陸軍の上海派兵が決定された。

●8月13日   長谷川清第三艦隊司令長官は東京に

「此の際、速やかに陸軍派兵促進緊要なりと認む」と打電した。

軍令部から「本13日陸軍派兵決定せり、派兵時機兵数等に就いては追って通知す」の電報が上海に打電された。

● 同日  長谷川清第三艦隊司令長官から次の命令が出された。

(命令)明14日空襲を実施する場合航空部隊の任務行動を左の通予定す

1.敵情  第三艦隊機密第558及561番電の通

2.空襲部隊は全力を挙げて敵航空基地を急襲し、敵航空兵力を覆滅すべし。

 此の場合飛行機隊の行動は特に隠密を旨とし高高度天象の利用に務るものとす。

3.空襲目標

 第2空襲部隊 第2航空戦隊  南京・広徳・杭州

 第3空襲部隊(台湾部隊) 第1連合航空隊鹿屋隊  南昌

 第8・第1航空戦隊及第1水雷隊飛行機  虹橋

 第1空襲部隊 第1航空戦隊及第3空襲部隊(大村部隊)

 第1連合航空隊木更津隊を使用し得る場合は追って令す。

4.飛行隊の進発及攻撃時期は特令す。

 内容:此の際、速やかに陸軍派兵促進緊要なりと認む

●8月13日 日本の閣議では派兵に消極的だった石原作戦部長の意見は抑えられた。

●8月14日 10時頃、中国軍は先制攻撃を開始し、中国空軍は第3艦隊旗艦「出雲」や陸戦隊本部、

   日本人学校を攻撃した。

   先制攻撃されて長谷川長官は怒り、嵐の中にもかかわらず出撃を命令した。

注:実は12日に出撃命令を出し、13日に攻撃する予定が嵐のため14日に延期されたのです。

    先制攻撃するつもりが先にされてしまったのです。

   同日   政府は名古屋の第3師団及び善通寺の第11師団の出兵を決定した

   同日     臨時閣議で消極的だった米内光政海相も「出雲」を攻撃されたことから

  「不拡大方針」の放棄を主張し、南京占領の提言も始めました。

  上海への陸軍の派遣を決定しました。

     同日  軍令部は次の海軍声明を発表した。

         ◎本14日午前10時頃、支那飛行機10数機は我艦船、陸戦隊本部及

  総領事館等に対し爆撃を加うるの不法を敢えてし、暴戻言語に絶す。

  帝国海軍は今日迄隠忍を重ね来りしが、

  今や必要にして且有効なる有ゆる手段を執らざるべからずに至れる・・・・

     同日  中国軍の暗号を解読して攻撃を予想していた海軍は、渡洋爆撃を開始しました。

     同日  軍令部は大海令第13号を発令

1. 帝国は上海に派兵し、同地に於ける帝国臣民を保護するとともに当面の支那軍を撃破するに決す

2. 第3艦隊司令長官は・・・・所要の地域を確保し、同方面における敵陸軍及中支那に於ける

 敵航空兵力を撃破すると共に所要海面を制圧し、必要に応じ敵艦隊を撃破すべし・・・・

           注:政府や陸軍よりも先に不拡大方針を止めて全面戦争を準備したのです。

              つまり7月12日の海軍軍令部「対支作戦計画内案」の第二段階に突入したのです。

              海軍の計画通りに仕掛けが成功したのです。

      同日  夕方、広徳及び杭州の飛行場爆撃

●8月15日 南昌及び南京の飛行場爆撃

   同日  午前1時半 近衛内閣は下記の帝国政府声明を発表した。

        ◎帝国政府声明

 事変発生いらいしばしば声明したるごとく、帝国は隠忍に重ね事件の不拡大を方針とし、

   つとめて平和的かつ局地的に処理せんと企図し・・・・

  (南京政府は)兵を集めていよいよ挑発的態度を露骨にし、

   上海においてはついに、我に向って砲火を開き、帝国軍艦に対して爆撃を加わうるにいたれり。

   かくのごとく支那側が帝国を侮辱して不法暴虐いたらざるなく、

   全支にわたる我が居留民の生命財産危殆に陥るにおよんでは、

   帝国としてはもはや隠忍その限度にたっし、

   支那軍の暴戻を膺懲し、もって南京政府の反省を促すため、

   今や断乎たる措置をとるのやむなきにいたれり。

 注:暴戻-ぼうれい、ぼうるい・・・残酷で人道に外れている事

     膺懲-打ち懲らしめる事

   同日   国民党政府は総動員を下令し蒋介石は自ら陸海空の総司令官に就任し、

   中国共産党は「抗日救国十大綱領」を宣言し全面戦争は開始されたのです。

   同日   上海派遣軍が編成され、予備役の松井石根大将を指揮官として

   名古屋の第3師団、善通寺の第11師団(天谷支隊を除く)の派遣命令が出ました。

   その任務の範囲は「海軍と協力して上海付近の敵を掃滅

   上海並びにその北方地区の要線を占領し帝国臣民を保護すべし」という限定されたものでした。

        注:米内海相や軍部に追従していった近衛首相の様子を批判している外交官もいました。

           ◎石射猪太郎 外務省東亜局長の日記から

8月13日 上海では今朝9時過ぎからとうとう打ち出した。平和工作一頓挫である。・・・・

  海軍もだんだん狼になりつつある

  同14日 海軍は南京を空爆すると云う。とめたが聴きそうもない。

  陸戦隊は日本人保護なんかの使命はどこかに吹きとばして

  今や本腰に喧嘩だ。

  もう我慢ならぬと海軍の声明

  同16日 豊田軍務局長も事態を知るが故に停戦を欲して居るのだが、

  海軍部内の昂奮に手が出ないようだ

  同31日 近衛首相の議会草稿を見る。軍部に強いられた案であるに相違ない。

  支那を膺懲とある。

  排日抗日をやめさせるには最後までブッたたかねばならぬとある。

  彼は日本をどこへ持って行くというのか。

  アキレはてた非常時首相だ。

  彼はダメダ

 

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