南京事件

参謀本部の増派決定
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最終更新日:2017/04/08 10:19

9月に入り天皇の意向を受けて上海に増派が始まりました。

●9月6日   重藤支隊―台湾守備司令官重藤千秋少将が指揮する台湾歩兵第1、第2連隊

     華北から後備歩兵10個大隊等

●9月21日 上海派遣軍として次の部隊が派遣された

第9師団      9月27日から上陸

第13師団(特設師団・後備役兵を召集して臨時編成した。高年齢である)

                         10月1日から上陸

第101師団(同上)  9月22日から上陸

野戦重砲兵第5旅団

野戦重砲兵第15連隊(特設連隊・本隊は近衛野戦重砲兵第8連隊)

                     9月26日上陸

第16師団 追加派遣

その他

●10月上旬  参謀本部は杭州湾の上陸作戦を決定し、

  第10軍が編成(軍司令官柳川平助中将)された。

 第6師団

 第18師団

 第114師団

 国崎支隊(第5師団の一部で、歩兵第9旅団長国崎登少将指揮の歩兵第41連隊基幹)

●11月5日 第10軍(司令官柳川平助中将)の3個師団余が杭州湾北岸に奇襲上陸。

●11月6日 「日軍百万上陸杭州北岸」のアドバル-ンが上海にあがった。

●11月7日 上海派遣軍と第10軍を合せて中支那方面軍の編合が発令され、

   松井石根大将が上海派遣軍との兼任司令官になりました。

             注:編合は仮の編成の事

               戦闘序列は天皇が命ずる正式の編成

●11月13日、第16師団は白茆江に上陸成功

当初日本の参謀本部は中国軍の力を余りにも過小に判断して、

簡単に終わらせる事が出来るという非常に甘い判断をしていました。

ところが実際には中国国民政府の70万人もの軍隊のト-チカ陣地は強固で、

民族意識の高まりからくる中国軍兵士の果敢なる抵抗に日本軍は莫大な損害を出しました。

11月8日までに戦死9115名、戦傷3万1257名と合計4万人を越えてしまいました。

第3師団や第11師団はほぼ全員が補充兵と入れ替わるほどだったといわれています。

中国側の戦死者は25万人前後と言われています。(石島紀之「中国抗日戦争史」)

準備不足で始まった上海戦は、軍中央の制止にも関わらず現地軍の暴走で拡大していきました。

大本営も引きづられて結局拡大の方向に変化していったのです。

増派で優位になった日本軍が南京へ進撃を開始したとき、

予定外の暴走で食糧や準備が不足していた上に

今まで受けた損害から中国兵に対して敵愾心を持ったため、

民間人の殺害、略奪、強姦などが増えたのだと思われます。

 

 

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