南京事件

野戦銃砲兵第15連隊
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最終更新日:2017/09/02 10:56

野戦銃砲兵第15連隊は南京戦で重要な働きをした部隊ですが、資料が極端に少なく、

また多くの研究論文にも部隊名しか登場せず、詳しいことは不明でした。

第一次資料ですから出来るだけ詳しくこの部隊について述べるつもりです。

今回からしばらくの間野戦銃砲兵第15連隊に関することが続きます。

我慢してお付き合い下さい。

 

さてこの連隊は、本来近衛師団の東部第72部隊の所属で、本隊は野戦重砲兵第8連隊です。

本隊の野戦重砲兵第8連隊はノモンハン事件で大きな損傷を受けました。

 

第二次上海事変で日本軍が相当に苦戦を強いられた為、

東京に残されたこの連隊の装備を利用して臨時編成された部隊が野戦銃砲兵第15連隊です。

ノモンハンの損害で兵力が不足したため、この臨時編成部隊では幹部以外はほとんど招集兵で、

上海で全滅覚悟の部隊だったといわれています。

しかし装備は近衛師団のため優秀で中支那に派遣された部隊で唯一の機械化部隊で、

10センチカノン砲は8000メ-トル撃てたといわれています。

上海で全滅どころか、装備の優秀性からどの師団にも属せず、

上海派遣軍直轄の部隊として活躍し、南京に至るまで各師団、旅団に協力し南京占領に大きな働きをしました。

一定の役割を終えた後日本に帰還し、部隊は解散しました。

数年の期間のみ存在した部隊のため一般的には資料が残らず、戦友会もありません。

アジア太平洋戦争の始まる前に解散したせいでしょうか、珍しく記念の写真アルバムを作っています。

その後に第2次世界大戦に入ったので、そのアルバムも焼失し、多くの兵士は次の戦争に狩り出されたでしょう。

その為尚更資料が残っていないものと思われます。

 

珍しく、わたしの手元に、従軍した元軍曹「永井仁左右」が残した、

「支那事変紀念写真帖」「個人写真」「回線図」「軍隊手諜」「従軍手帖」「戦後に書いた個人の回想録」等が

残されて私の手元にあります。

これらのすべてが残っていることは非常に珍しいことで、恐らく他にはないものと考えられます。

その為出来るだけ全資料を公開します。

まずは支那事変紀念写真帖です。

次回からです。

 

 

 

 

 

 

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