南京事件

手帖の記録 昭和13年
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最終更新日:2017/11/11 9:52

南京陥落後ですから、厳密には南京戦は終っているのですが、

資料として内地に戻るまで日記を続けます。

 

昭和13年

1・1  8時半連隊全員東に向い遥拝陛下万歳三唱 会食あり

    日本晴れにて良き正月なり

1・2  空襲あり

1・3  10時より西部衛兵  目下の処川村伍長腹痛の為交代

    第二下士哨として48時間勤務

    宿営地より西北約1500米南京句容の三叉路に哨所を設立

    第一線にして壕を掘り抵抗線を定む

    各部隊より巡察あり 大過なき

    5日午前10時下番になる

    困難なる勤務にして一日にして昼間目カスミ疲労甚だし

    途中哨所の変更あるも又旧位に帰へる

  下士哨長 永井伍長

  歩哨   綾部音松

  上等兵  福田上等兵  今井清兵衛

  伝令   長谷川上   寺田健   内海七郎   渡辺正一   富山上

1・6  鎭江の大戯院にて余興あり 各部隊の芸人出る

    支那の芝居あり 中にも支那側の代表人物出で挨拶あり

    近々自治会発足とのこと

    日本京都にて教育を受け育ちたる若き委員あり

    感激的シ-ンなり

1・10  内山旅団長の巡視あり

1・18  鎭江に行く 相当なる町なるも不潔なり

    世界的有名なる金山寺に詣づ

    其建築、仏像日本のものに近く今まで見たるものより立派なり

    金山の僧、読経しつつぐるぐる廻りいたり

    鎭江には他に山頂等僧の居る寺院点々とあるも

    此の如く平常と異なることなく行事の行はるのは驚きなり

    山には塔あり

    対空監視哨あり

    李鴻章の書ける額あり

    外出の目的が慰安所にあり

    去る開業式にはクジに当たるも遂に人に譲り行かず

    以后3回目にして中隊長他幹部等に無理に出さる

    本日は朝鮮なり 最初の決心通り入らず

1・26  第二大隊南京に向う 行動判明せずも渡江

    13師団に協力とのウワサあり

    見送りをなす空気厳しく五体千切れるばかりなり

1・28  大戯院にて同盟、読売、朝日のニュ-スを見る

    又、松竹の此の父に罪ありやを見る

    内地の歌謡曲のレコ-ドを聞く

    涙出る

    朝鮮の慰安所行の指揮を命ぜられる事故なし

1・29  雪

    日本橋区小伝馬町2-4-13

    桑原方勇士会

    桑原元次 上村一雄  小沢銀太郎  坂口信   青木元治

    より慰問品送らる

1・30  家と大島より小包到着す

2・2  塩豆にて豆撒するものあり

    なかなか寝られず

2・4  雪

2・6  道路工事

2・8  露営営兵司令

2・10  上軍司令官殿下が弾射撃見学に来たり 我部隊にも来られたり

2・11  紀元節 日章旗を中隊前に出す

2・14  慰安日なり 砲台を見学す

    立派な30糎砲あり 四門揚子江に向ひ 10糎砲も数門あり

    大きな4手網にて悠長なる魚取りを見る

2・16  家より小包届く(1月25日附のもの)

2・19  第二種巡察 本日より中支那派遣軍内山部隊気付澄田部隊工藤隊に変更

注:内山旅団(野戦重砲兵第5旅団)の澄田連隊(野戦重砲兵第15連隊)の工藤中隊

2・21  下士官の練兵休遂に3人(盲貫銃創にて内地送り1人)

    使役2人、監察、日直、衛兵と勤務激し日直下番となる

注:盲貫銃創とは弾が通過しないで体内に残っている

2・22  象山砲台へ鎭江兵備整備の使役 砲を移動する道路を作る

    砲は持帰るとのことなり

    廿三加四門 十加四門 十二加二門

2・23  花山砲台へ使役十五加四門、発電機、探照燈あり

2・26  鎭江付近の掃討を行ふ

2・27  新連隊長(澄田らい四郎)令下達式あり

    夜に入り非常呼集終り11時半なり

2・28  本所の寿美恵、富久恵より慰問袋(菓子)

3・1  新連隊長巡視

 第一下士哨人名

 哨長 永井伍長

 衛掛 村重松上

 歩掛 羽場勝敬上

 歩  大塚喜作

 〃  池谷萬蔵

 〃  天ケ谷宗吾

 〃  平沢常三郎

 〃  秋山昇

 〃  小堀貞一

 〃  渡辺寿雄

 〃  井上亀吉

 〃  大野甫

 〃  柳沢近恵

 〃  寺内孝

 〃  平山宗司

3・4  西部衛兵(金山寺)風邪気味其上昨夜接種を行ふ 調子不良なり

3・5  昨日と本日で麻雀トランプのトバク現行を捕ふ

3・6  西部衛岳48時間して無事終了す 雨に終始せり 雪

3・8  雪なり

3・9  雪降り

3・10  陸軍機記念日 雪止む

    積雪凍る原野にて上海派遣軍司令官より賜はりし感状及軍砲兵指揮官より下されし賞詞(口中)授与式

    皇居遥拝式陛下万歳三唱 連隊万歳三唱 訓示あり

    午後戦砲隊貨車団の皇軍の武威を発揚する為め鎭江市内を示威皇軍す

3・11  家と学校より慰問袋届く

3・21  大戯院に於て慰問挨拶あり 松竹の八雲、大塚、松本、里見ら実演あり

    映画結婚三羽烏等

3・23  露営衛兵

    梅原より小包届けど勤務の為め解かず

4・3  神武天皇祭 遥拝式を施行す 風呂に入り缶詰の富久娘を戦友とやる

    蓄音機を借りて来て涙ぐみながら飲む下級品の酒もあらん

4・9  軍司令官畑大将来鎭閲兵を行ふ 本日より週番

4・10  軍司令官の巡視あり

4・11  陸軍の慰問団ポリド-ル班来鎭 染千代、平山ミユキ、上原敏、金波銀波等

    近日再び第一線出動の噂あり事実とならん

    道路偵察及被服兵器の受領に上海行等の兵出る

    又今度の作戦地域には水無く流行病或は敵の青酸加里使用等と幹部より話あり

    部隊長は上海へ命令受領に行く

4・17  竹林寺を見学す 1600年の禅寺なり

    陸軍省慰問キングレコ-ド班来るも満員となりて聞かず

4・18  中隊長下士官集合 中隊長より江北へ出動の話あり

    出発は22日の予定なり

4・20  露営衛兵鎭江に於ける最后の勤務なり

    思えば4ケ月駐屯せり

4・22  江北バンプに向い出発す 句容経由南京に至る 今日は南京に一泊

    大門橋、小門橋を利用し揚子江を渡河する為め下関に至り

    明日の指示を受けて新規兵の使役として使われるあり

    死体は未だ浮きいたり雨となり宿舎は「コンクリ-ト」土間寒気激し

4・23  早朝渡河開始 困難なる作業なり 完了せす 下関に止まる

    終日の雨に寒さ激しく廃居に寝る

4・24  揚子江を渡河0時半浦口出発 滁県に到着 露営

    途中部隊に后尾警戒の任に当たる 道路悪し

4・25  命令にて滁県に待機 明朝出発の準備をなす

4・26  滁県出発 朱龍橋経由 大柳鎭に露営中 全く道路悪し

    橋?の焼かれ地雷非常に多く山嶽の坂路にて難行軍であった

4・27  昨日以上の悪道路にて難行軍の続く 池河線を経由 途中露営す

    午後11時半休む

4・28  道路昨日より良し 鳳陽を通過蚌埠に着く

    3ケ月ぶりに三中隊に会うも直ちに出発とのこと

    銃声聞こゆ

    二大隊は懐遠終結とのことなり

    町は雑然たり 暑気激しく特有の蝿に閉口す

4・29  天長節にあたり遥か皇居遥拝 万歳三唱

4・30  靖国神社の大祭に当り遥拝す 我杉浦岩村両勇士も祭られしとのこと

    空襲あり 爆弾投下さる

5・2  出動準備 外套、毛布各1、の他襦袢靴下1,2足の外器材自動車火砲に到る迄

    戦闘中に必要なきものを人員と共に懐遠に残置す

    100km間に戦車壕400とか非常なる難行軍ならん

    万難を排し火砲1門になるも一線歩兵と行動を共にするとのことなり

    我観測小隊にて残るもの5人通信で2人なり

5・3    懐遠に向ひ出発 の岩山風光明媚の処なり

    連隊終結す 露営

5・4    薄暮前進陣地占領 前面に友軍あらず

    夜になり続々と終結行動を開始す

5・5    前3時戦闘司令部連絡に行く 払暁より攻撃開始 更に前進陣地占領

    地雷多く戦車115榴貨車等やられる 前進露営 猛烈なる雷雨

    幕舎倒れ一夜雨に悩まさる

5・6    明くるば昨夜来の豪雨にて自動車運行不能となり

    拠進班を編成 約1/3の兵力にて牽引車にて前進するも進渉せず

5・7    更に編成を変更 観測小隊所掛下士官以下9名(通信手5人)小隊長は残る

    火砲1門2弾薬車総計40名のみにて前進す 給養を兼任す

    第1線に追求する為め夜間行軍を実施 遂に通信手2名 観測手1名

    中隊長以下28名に減員さる

5・8   7時続いて難路を行軍戦車壕の多きこと実に驚くばかりなり

    露営昨夜の徒歩者及7日に残りし者合す

5・9    前進蒙城遂に陥落す 直ちに城壁東側に陣地進入 板橋集(東北1200)を攻撃す

    残敵掃蕩に第1分隊長となり出掛け1人捕ふ

    頑強なるものを包囲

    第1中隊長観測小隊長外2名負傷 1名戦死す

    一中隊長武雄大尉殿遂に死す

5・10  明日永城に向ひ出発

5・11  ガソリン補充つかず出発見合せ 敵機8機来たり

    我に対抗兵器なき為め縦横無尽に暴れられ銃を以て応戦す 犠牲出る

5・12  第一次編成に帰り出発す(常庄)

5・13  未明出発 三判角に露営 衛兵司令 良い月である

5・14  予定地永城を過ぎて前進前線を突破し友軍の爆撃に会う

    夜になり歩兵第一線来たる

    燃料受領の連隊、大隊、段列敵に襲われ犠牲者ありとのこと

    一昨夜露営せし附近なりと(蔡瓜楼に露営)

5・15  燃料補給付かず編成を又々変え 一部永城に帰し残すこととなれり

    西鎮店に露営

5・16  突然前4時出発す 8時遂に隴海線を越す 敵退路遮断の目的とのこと

    敵と遭遇す 郝集通過

5・17  6時出発 歩兵第一線に挺進す 敵も相当ねばる

    州手前約15kmばかり(米集)に陣地占領

    敵列東を砲撃 損害多し 夜に入り前進 夜半露営

5・18  臥牛山に前進陣地占領 物凄き風塵なり

    夕より第一線に電話連絡の為め中隊より5、大隊より5を合わせ作業開始す

    第一線両角部隊本部に連絡つく 迫(撃砲)雨の如く恐ろしかった。

5・19  前進臥牛山歩兵占領と共に前進 観測所開設 線全部を使用す

    前9・30我協力両角部隊入城せり 城外に露営す

5・20  城内にガソリンを徴発に行くも無し 明日残敵を追撃して前進するとのことなり

5・21  除州を南下 津浦線を追撃 前三連扞に露営

5・22  除州に引返へし集結の為め設営に先行

    本隊は敵遺棄の15榴を牽引に行き遅くなり来たらず

    附近に友軍あらず

5・23  中隊懐遠の他集結を終る 同年兵白井の他益山君戦死の遺骨来たる

    他に負傷2名あり

5・24  本日より畑部隊気付

5・27  部隊の慰霊祭を施行せらる

6・1    114D野砲120末松部隊大隊部隊飯田隊塩川君(工科学校)に会いに行く

    北停車場附近なり

6・3    蚌埠に向ひ出発(戦砲隊を除く)宿県城西側地区に露営

6・4  板橋集に露営

6・5  懐遠経由蚌埠に着く

6・16  梅原より小包届く 3日前に家より小包2つ

6・17  本日にて軍曹を命ぜられる(6・1附)

6・18  辞令を与えられ申告をなす

6・23  南京に向ひ出発 汽車利用 途中増水一面の水海なり

    9時間にして浦口に着く 終日雨なり 南京に渡河 増水にて容易

    市内は膝を没する出水 夜半1時頃着く 宿舎はよし 広き金陵兵工廠

7・7  事変一周年 黙祷をささぐ

7・8  大正9・10年兵帰へる 中隊、三田鈴木杉山三氏

7・13  水西門衛兵(注:南京城門の一つ)

7・19  野口睦守兄来たる(父の実家の長男、2年兵)

    岡村部隊気付け石割隊金子隊

    本日澄田部隊長見送り 少将になり第6旅団長になられる

7・27  漢西門兵器庫衛兵 21時堀川部隊長着任の予定

8・1  土山鎮の衛兵所に行く

8・8  水西門衛兵 未明不逞分子一斉検挙あり

8・14  13日23時命令受領の為め起さる

    大刀会匪4百、砲2門を有する5百の敵土山鎮襲撃の報により中隊より兵21名出る

9・3  土山鎮衛兵1週間勤務 眼前にて飛行機に依る敵掃蕩あり(江寧健)

9・5  沿岸(注:揚子江右岸)警備隊出発とのこと(小室准尉 麻生分隊 連隊で2ケ小隊)

9・9  15SAS(注:近衛野戦銃砲兵)創立記念日 隊では催ありたる由

9・10  衛兵下番 家より小包来ていた

9・14  山口軍楽隊来隊

9・28  南京下関に於て神瑞丸(2900屯)に積載九江に向はんとす 出発明日の予定

9・30  危険区域に入り駆逐艦煙幕を張り砲撃す

    敵よりも数発来たり 当れり

    17時頃南岸より数十発砲撃され煙突、機関室、船倉等は破る

    死傷12名ガンガンと当る弾に全く驚く

10・1  安慶にて応急修理の為め出発出来ず

10・2  出発 敵航行妨害の十数の商船らしきマスト煙突林立行異観なり

    砲撃あるも異常なく日没九江に着

10・3  予定変更馬頭に向ふ

10・4  車両火砲等を降ろす 船倉に終日入り閉口す

10・5   0920上陸す

10・6   前進 田畈北方1キロ 陽新手前4キロに到着

10・7   田垞舗に陣地占領 観測所東山敵方斜面

     険しき山なり 敵砲兵等を求めて制圧す

     敵砲弾も時々陣地附近に落下す

10・9   前日に同じ 9D(注:第9師団)正面渡河 畑支隊も本日渡河開始とのこと

10・11 古薗工長と面会す(注:兵器学校勤務中に教えた機工科生徒)

10・13 元東占領の報あり

10・15 陽新2000米迄前進 銃眼破壊を行う 1分隊長田谷軍曹過早破裂にて重傷す

注:過早破裂とは爆弾が予定より早く爆発する事故

10・18 前10時30分陽新陥落す

10・21 門橋にて渡河 部落外(西北)露営す

10・22 大治手前劉家に露営 橋梁破壊 戦車壕あり 橋は焼かれてた

10・23 大治に入る 10時鄂城手前約5,6kmにて露営

10・24 鄂城に入らず手前を左折前進王家埠にて観測小隊は準備せしも陣地占領せず前進

     山品部隊に追付く

     華客鎮に陣地占領

     敵砲撃の集中を蒙り死傷出る

10・25 前任務を続行

10・26 早朝前進 畑支隊は昨夜10里余を強行進撃 遂に武昌に入城せりと

     我が挺進班は戦砲隊に先んじ1030入城

     途中砲数門兵器死体等多数あり

     ロ-バイ振りを思はる

     命令に依り場外に引上げ村落露営をなす

10・30  宿舎を国立武漢大学の南側東湖中学に移す

     大学の豪荘なるに驚く

11・3   突然出発 威寧方面に向ふ

     9D配属の予定なりしも途中突然27Dに変更澄田少将の指揮下に入り

     威寧より左折し通山手前下毛坪に露営

11・5   峨々たる山嶽に入り楠林橋北方青洞に陣地占領し攻撃し陣地露営をなす

11・6   1630出発 橋梁破壊の為め崇陽手前林屋咀に夜間に至り露営

11・8   崇陽を過ぎ露営

11・9   通城北方14キロ胡家湾に陣地占領通城を攻撃す(大沙坪を過ぎ)

11・10 通城陥つ 少し引き返し大沙坪に露営す

11・11 午后豚取りに出掛けた中村上等兵帰らず

11・12 7時より中隊全員にて捜索す 昼食も早々に出発の時 突然中村帰へり

     異常なく出発 白霓橋に村落 露営す

11・13 咸寧を過ぎ官埠橋に露営

11・14 武昌を賀勝橋より右へ金牛鎮に到着 警備に付く

11・18 金牛橋東部警備の衛兵勤務

12・4   金牛警備衛兵勤務

     12・1附にて三等級を給せらる

12・9   敗残兵討伐に行く 火砲射撃中機関銃で撃たる

12・11 旅団の計画に基く敗残兵掃蕩を行ふ

12・14 武昌方面紙坊へ移動す

12・17 慰霊祭を施行 鉄道警備下士哨へ補線に出て出席せず

12・20 雪あり 2,3日寒し

12・31 畑司令官に代わり山田乙三中将来たる 部隊長訓示

 

 

 

 

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