南京事件

第65連隊の記録 1
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最終更新日:2018/09/20 13:50

だいぶ前の項目で「野戦重砲兵第15連隊」の行動記録を書きました。

ここでは別の部隊「第13師団山田支隊」の記録を転載します。

2015年と2018年の2回、日本テレビ系列のBS日テレやNNNドキュメントでこの部隊のことを放映しました。

かなり詳しい内容でよく調査されていました。

この資料が出版されたのは1996年3月14日ですから、テレビ放映の19年も前になります。

 

「第13師団山田支隊の記録」

南京に近くなった12月11日、中国軍の退路を遮断する為に上海派遣軍は第13師団に支隊を編成しました。

山田支隊です。

福島在住の民間研究者「小野賢二」氏は1990年頃からこの山田支隊に所属した

歩兵第65連隊と山砲兵第19連隊第3大隊兵士の陣中日記、戦闘日記や出征日誌等の調査を始め、

1996年に調査資料を「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち・大月書店」として出版しました。

その結果全ての捕虜は虐殺された事が分かりました。

ほとんどの日本兵は仮名となっていますが、大変重要な証拠資料なので掲載します。

資料は山田支隊に所属した次の2つの部隊に所属する兵士の日記です。

◎歩兵第65連隊(若松 連隊長 両角業作大佐)の3つの大隊

◎山砲兵第19連隊(越後高田 連隊長 横尾濶中佐)の第3大隊

 

「当時の新聞記事」

まず当時の新聞の内容です。

読みやすく漢字等を修正、不明の字は○にしました。

●東京朝日新聞 号外 1937年12月16日   

☆両角部隊大武勲         

敵兵一万五千余を捕虜

            (南京にて横田特派員15日発)

鎭江から揚子江岸を強く進撃した両角部隊は13日烏龍山、14日朝幕府山2砲台を占領したが、

その際南京城から雪崩を打って敗走して来た第18師、88師

及び軍官学校教導総隊等総数一万四千七百七十七名の敵軍と出会い、

敵は白旗を掲げて降服、両角部隊は寡兵をもってよく一万四千余の全部を捕虜とする大武勲を樹てた

●東京朝日福島版  1937年12月17日     

☆おゝでかした両角部隊          

捕虜一万五千とは           

何と凄い武勲だ             

県下に又々歓喜爆発      

「両角部隊大武勲敵兵一万五千余を捕虜」の快ニュ-スが昨16日朝、

本社特電によって報道されるや全県下ははち切れれんばかりの爆発的歓喜に包まれ

「でかしたでかした」と出征家族の門前には感謝感激の日の丸が躍り出で

町といわず村といわず、

この日の丸の下で譬へようのない喜びの挨拶が交はされ学校では早速教室で教材に取り上げられる。

生徒児童の万歳の爆発となり県○初め官庁銀行会社等もこの快ニュ-スで仕事も手につかない有様 

「白旗を立てゝ降参するに至れり・・・・」とは痛快だ、

思ひ切って一人残らず屠殺してやればよいのに、

と老若男女一様に南京陥落の祝賀」の興奮消えやりぬ胸を再び沸き立たせ、

同夜各家庭の晩餐は心からなる祝杯と万歳の声で大賑わいだった

●福島民友新聞 1937年12月17日

☆両角部隊大殊勲    

一万五千の敵を捕虜      

燦!幕府山砲台占領        

南京にて15日発 

さきに○山の堅塁を抜き鎮江を経て、揚子江岸を長躯進撃した両角部隊は

13日には烏龍山、14日朝は南京の北方幕府山の両砲台を占領したが、

その際南京城内から雪崩を打って敗走してきた

第18師、第37師、第34師、88師及び軍官学校、教導総隊等

総数一万四千七百七十七名の敵軍と出会い、敵は白旗を掲げて両角部隊の軍門に降り、

同部隊は寡兵よくこの大敵軍を捕虜とする無比の殊勲を樹てた

次回は実際の兵士の日記等を書きます。

 

 

 

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