南京事件

南京の人口
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最終更新日:2018/02/10 9:49

事件を小さく見せようとする人は、当時の南京の人口を20万人と主張します。

しかし常識的に考えてみて大きな中国の首都、国際都市南京の人口が20万ということは常識外です。

実は南京城内の約1/8の面積の「国際安全区」に避難した軍民の数が20万から25万だったのです。

実際の南京の人口は城部で100万人以上、近郊で130万人以上、合わせて230万人以上と言われています。

当時の日本の新聞にも南京市民100万と書かれています。

正確な人口は分かりませんが、資料から推察します。

◎南京特務機関(日本の)の南京市政概要から

1937年3月末  1,019,667人  200,810戸 首都警察庁調べ    南京城区の人口

38年2月末    200,000人  南京市自治委員会と特務機関が推計 安全区の人口

39年9月 日本軍特務機関調査

戦前は100万そのうち、25万は漢口に

   25万は上海に

     5万は香港に

現在は4~50万どまりなり

◎南京憲兵隊管轄区内治安回復状況に関する報告(意訳) 1938年2月19日及び28日

華中派遣憲兵隊・大木繁司令官から関東軍司令官宛書類

注:2014年中国吉林省公文書館で発見された文書

        南京陥落前南京地区の人口 113万人

        南京陥落後      34万5000人

        人口が        78万5000人減った

◎行政機関の調査

           注:この行政機関とは南京陥落後ですから日本の傀儡政権のことです。

         38年10月末 329,488人    82,195戸  南京市自治委員会調べ

         39年10月末 552,228人  132,403戸  南京特別市調べ

         41年3月末   619,406人  140,439戸  南京市政府調べ

◎金陵大学社会学教授 ルイス・スマイスの当時の調査

戦争勃発前の南京城区             100万人

37年11月初旬(陥落の直前)          50万人

近郊4県半      120~135万人 高淳県と六合県の半分を除く。

全部入れると推計150何人以上

◎南京城区100万人と近郊150万人を合わせると、

 南京全体としては250万以上がすんでいたと思われます。(笠原十九司氏推計)

◎ジョン・H・D・ラ-ベ報告書

                注:ジーメンス社社員のラーベは1938年2月22日に南京を離れ

                  ましたが、その後6月8日にヒットラ-総督に報告書を提出しています。

                  その内容です。

・・・南京の人口は、私が7月(注:南京攻略の前1937年保養地に出発した)出発したとき

には、約135万人でした。その後、8月中旬の爆撃で、その内数十万人が街を離れました。

しかし外国大使館とドイツ人の顧問はまだ全員が残っていました。

・・・・(国際安全区に関して)われわれは25万人の難民からなる「人の蜂の巣」のなかに

住むことになっていました。最悪の場合として予想したより5万人多かったのです。

われわれは食べるものを全く持たない65,000人の極貧者を25のキャンプに泊まらせ、

彼らに1日当り1600袋、1人あたり生米茶碗1杯しか与えられませんでした。

困窮が増し、私が地区の保護のために行った要請に対する日本側からの回答が無かったので、

私は11月25日に総統宛に次のような電文を送りました。

「南京の党地区グル-プの役職者で、当地の国際委員会の委員長である下記の者は、

政府が非闘員のために中立地区を作ることに同意を与えるよう、

総統による日本政府への的確なおとりなしを要請いたします。

さもなくば、南京をめぐる来るべき戦闘で20万人以生命が危険にさらされるのです。

          ドイツ的挨拶をもって

             南京在住ジ-メンス代表ラ-ベ」

 

注:この文書にある「国際安全区の25万人の難民・・・・予想したより5万人多かった」の

    文言をとらえて一部の人は南京全体の人口と主張しているのです。

注:ラ-ベは日本の同盟国であるドイツのヒットラ-総統に暴虐な日本軍を戒めるように

    何度も要請しています。       

 

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