南京事件

南京戦・中国側の死者の人数 1
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最終更新日:2019/10/19 11:06

南京戦で、何人の人が亡くなったのかは現在でも分かりません。

学問的には全ての歴史学者(右よりの学者も含め)が大量虐殺のあったことを認めています。

ただ人数が決定できないだけです。

虐殺がなかったと否定する人たちは何の根拠も無くただ主張しているだけにすぎません

そしてたとえ数千人であったとしても大量である事は間違いないことです。

敗戦前後に証拠隠滅で焼却したため、

中支那方面軍の全連隊の中で戦闘詳報や陣中日誌の類を公刊・公表しているのは1/3位しかありません。

そのことも結論を出せない原因です。

人数を確定するには色々な方法があります。

 

日本軍の記録、欧米人の記録、中国人の目撃証言、各種団体による埋葬記録などです。

しかし、それらを調べても完全には分かりません。

かなり重複している可能性があることと、兵士や民間人の区別がしづらいからです。

さらに大量の死体を揚子江に投棄しましたのでさらに分からなくなっています。

●早尾軍医報告書「戦場心裡の研究」から       

下関には支那兵屍体が累々と重り是を焼き棄てるために集められたのである。       

目を揚子江岸に転ずれば此処に山なす屍体であった。

其の中に正規兵の捕虜の処置が始まり海軍側は機関銃を以て

陸軍は斬殺、銃殺を行ひ其の屍体を揚子江へ投じた。

死に切れない者は下流に泣き叫びつゝ泳ぎ行くを更に射撃する。

それでもわかる範囲で数を調べることは大事なことです。

多くの資料から整理した渡辺久志氏の論文を参考にします。  

1.日本軍の部隊記録から集計する

国の関係機関に記録が残されているのは僅かです。

個人所有の従軍手帖からも集計できます。

しかしこれでも全てが分かるわけではありません。

捕虜を捕獲した部隊が他の部隊に引き渡す事もあります。

厳密に考えれば南京陥落までと、それ以降の殺害を分ける必要があるかもしれませんが、

陥落までの捕虜を後で殺害した事が多いので区別しないで列挙します。

12月1日から最終的な南京攻撃が始まりましたが、

最も多くの軍民が被害を受けたのは、日本軍が17日の入城式までに行った徹底した掃討作戦の期間です。

この時は戦闘終了後ですから多くの居留外国人の目に触れる事になりました。

掃討を行った部隊は第16師団、第9師団、第10軍です。

日本軍の分かる範囲の資料から南京陥落前後の殺害数を整理します。

戦闘詳報や陣中日記等信頼性のある数字だけです。

日付の確定が出ないものもあり、重複していることも多いので集計はしません。

また第13師団の山田支隊(第65連隊)は以前書きましたのでここでは重複します。    

以下の日本軍の資料は南京戦に参加した全部隊の1/3以下の資料です。    

実際はその数倍はあるだろうことを念頭においてみていただきたいと思います。

第5師団国崎支隊歩兵第41連隊第12中隊13日約5,000戦闘詳報
14日2,350戦闘詳報
第6師団攻撃中に 5,000戦時旬報
10~13日17,000戦時旬報
12~13日1,700戦時旬報
歩兵第45連隊第2中隊9日110陣中日誌
第9師団歩兵第7連隊 連隊長伊佐一男大佐13~24日6,670日記
第13師団山田支隊14日14,777飯沼守日記
16~17日20,000陣中日記
第16師団師団長日記13日24,000中島今朝吾日記
歩兵第33連隊 10~14日3,096戦闘詳報
歩兵第38連隊13日5~6,000戦闘詳報
歩兵第38連隊第10中隊14日午前7,200支隊長日記
佐々木支隊14日20,000 
 数千支隊長日記
   日記には 2万以上支隊長日記
佐々木支隊第1中隊13日1,300中島今朝吾日記
重砲兵第2大隊13日7~8,000 
歩兵第20連隊 800北山日記
 310牧原日記
 1,800牧原日記
 150~160牧原日記
 600増田記録
佐々木支隊24日~1月5日数千支隊長日記
第114師団歩兵第66連隊第1大隊12~13日1,657戦闘詳報
野戦重砲兵第15連隊(捕虜を他部隊に引き渡した)14日20,000永井・従軍手帳

 

2.殺害して揚子江に流した例  

南京陥落の時多くの軍人や市民が揚子江に脱出しました。  そ

の避難民を日本軍は船や河岸から機関銃で殺害したり、

または捕虜を揚子江に連れ出し殺害して河に流しました。

当然上記資料と重複しますし、後で述べる埋葬記録には含まれない可能性があります。

* 第16師団佐々木支隊第33連隊  戦闘詳報

                    2000人以上

* 第16師団佐々木支隊第33連隊第3大隊 松村芳治  故郷への軍事郵便

                    50000人

* 第2碇泊場司令部

          12月16日         2000人         梶谷健郎日記

             17日         2000人           同上

* 海軍第11戦隊

          12月13日       約10000人         掃海研究会記録

             14日        約700人         軍艦熱海

             15日        約500人         第2号掃海艇

                       約700人         軍艦栂

             16日前後     数千           

* 近衛工兵連隊・岩崎昌治 陣中書簡

    揚子江の川べり遺体ごろごろ  5,000名位

 

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