阿片政策

台湾での阿片政策
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最終更新日:2014/03/01 11:09

日清戦争で勝利した日本は台湾を領土として内地並みに阿片を禁止しようとする議論が起きました。

しかし後藤新平の主張によって、阿片漸禁政策(徐々に禁止する)と専売制度がとられました。

* 漸禁政策の主張

阿片を厳禁すると、阿片中毒者に苦痛を与え、その結果反抗を招き、

これを鎮圧する為の兵力と犠牲を必要とするのに対して、

漸禁政策は中毒者に対して人道的配慮を与えるものでさらに軍事的負担を逃れるうえ、

巨額の専売収入を確保できる

 

1897年10月、台湾阿片令が公布され、阿片はすべて政府の専売とし、

中毒者と認定された者だけ阿片吸引が許可されました。

しかしながら実際には中毒者でなくても、20歳以上にはすべて許可が与えられました。

その上中毒者の救済や矯正処置はとられませんでした。

その為中毒患者は増加し、1900年には17万人に達しました。

一方阿片収入は1900年には400万円となり、台湾財政収入の3割を占めるほどに伸びています。

後藤新平はこの功績で1902年勲二等旭日章を授与されています。

その後阿片の許可料や代金があまりに高くなったことと、死亡者が増えたことで、

1930年には中毒患者は2万3000人まで減りました。

さらに内外の批判が高まったため太平洋戦争を境に阿片政策は終わりをつげました。

 

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