阿片政策

チンタオでの阿片政策
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最終更新日:2014/03/01 11:11

第一次世界大戦で日本は山東半島を占領し1914年から1922年まで日本の軍政下に置きました。

青島軍政署は阿片専売制度をとり劉紫山という者に事業を委託し、

劉は保証金20万円を軍政署に納め、「大日本阿片局」の看板のもとに阿片の卸・小売業を営みました。

販売利益は軍政署7割、劉3割の分け前でした。

 

原料は現地か台湾やインドから輸入し、製品は日本軍の護衛付きで運んだと言われています。

* 「武装せる市街」 1930年 黒島伝治

武器を扱う商売が硬派だった。

そして、阿片、モルヒネ、コカイン、ヘロイン、コデイン等を扱う商売が軟派だった。

すべて支那人相手の商売である・・・・

邦人達は、たいてい、この軟派を仕事としている。

饅頭屋、土産物産、時計屋、骨董屋などの表看板は、文字通り表看板に過ぎなかった・・・・

そんな商売をやる人間がここには一千人からいた。

 

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