満州における麻薬の現地製造

満州では当初ヘロイン等の麻薬は

専売制度で密輸密売をしていましたが、

すぐに現地生産に取り掛かりました。

 

●山内三郎 「麻薬と戦争-日中戦争の秘密兵器」から

  1934年南満州製薬(株)を作りヘロインの製造を行なった技師

 大手製薬会社が、日本の国内で阿片を生産し、

 さらにヘロインを製造して、

 製品を支那大陸に運んだのに対して、

 大正も末期になると、

 大阪道修町の製薬業者などは

 ヘロイン製造を支那現地でやる方法を取りはじめ、

 数多くの技術者や工人が大陸に渡っていった。

 現地で作られたものを売りさばく販売網としては、

 富山の薬売り行商人がこれに参加したのだった。

 現地生産組みは、主に満州、北支那に腰をおろし、

 熱河産アヘンを原料としてヘロイン製造を開始した。・・・・

 もちろん、ヘロインの生産は

 支那政府官憲の前では公然と行なえるものではない。・・・・

 日本の薬業者が現地生産を始めた地域は、

 満州、北支という、日本軍駐屯地域内で、

 日本軍を隠れ蓑にするどころか、

 充分な保護を得られるまったくの金城湯地だったのである。・・・・