阿片政策

華中占領地区の阿片政策
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最終更新日:2014/05/28 16:35

1938年3月、南京に日本の傀儡政権として「中華民国維新政府」が出来ました。

維新政府設立と同時に日本軍の特務部は解散となり、興亜院華中連絡部が発足しました。

維新政府と興亜院の指導で8つの大きな阿片商を集めて「宏済善堂」という阿片販売商社が作られ、

表面上の責任者は中国人がなりましたが実質の責任者として

里見甫(中国名 李見夫、利鳴)が就任しました。

その後、傀儡政権は実権がなく手を出せないため、

阿片販売の一切は里見甫が率いる宏済善堂の思うがままになりました。

 

里見は陸軍の極秘の指令で動いていたため、現地の日本側機関も手を出せず、

東京の軍中央との打合せで内密に全てが動いていきました。

* 上海におけるアヘンの状況

H・Fギル(イギリス人・上海国際共同租界警察局)東京裁判証言

・ 日本軍の占領以前に、上海地区で公然とアヘンの売買はまったくありませんでした

・ 1938年10月頃、上海西部に12ケ所のアヘン吸引所を作る計画がでました。

  そこに20名のアヘン販売者を置くこととなりました。

・ アヘンは上海にはほとんど日本の船によって輸送されました。

  積み下ろしも日本側の埠頭でした。

* 南京についての報告書 M・Sベ-ツ     (アメリカ人・金陵大学歴史学教授)

・・・・麻薬についての商売は公益事業とされたのであります。・・・・

アヘンが公の店、すなわち政府の店で売られるようになり、

またアヘン窟の広告が政府の新聞に出てくるようになりました。

・ 1938年10月には営業の出来るアヘン窟が175あり、アヘンを販売する所は30ありました。

 

上記のベーツ報告書は1939年11月25日 UP電で世界に知られる事となりました。

日本の領事館でも問題になりました。

* 上海 三浦義秋総領事から野村吉三郎外務大臣への電報

1939年11月27日(原文カナ)

25日、金陵大学教授ベイツは広東に於ける麻薬取り締まり状況に関する調査報告を発表せるが

「ユ-ピ-」はその要点を電報し、

同日の「イブニング・ポスト」及び26日の「チャイナ・プレス」はほとんど全文を掲載せり

要旨左の通り

南京に於いて免許せられた阿片販売人、吸引所、旅館多数ある外、多数の闇取引行なわれ居り

少なくとも市民の1/3は中毒者なり

阿片は主として満州国より、次いで「イラン」より日本商人の手を経て輸入せられ・・・・

維新政府行政院の阿片収入は毎年300万元に上り、同政府の主たる財源となれ居り。

日支双方(注:日本政府と南京傀儡政府)とも現行の阿片販売制度は

政府維持の為欠くべからざるものと称し、憲兵特務機関も利益を分割し居れり

政府官吏及び警察官にして中毒し居るもの多数ある由なり。

尚「ヘロイン」吸引も増加し毎日2~30の中毒者の死体発見せらる・・・・

(チャイナ・プレス社説には)現在の事態は単に無責任なる日本人の所作為と証するを得ず

日本政府及び国民全部が全責任をおうべきものなり 

過去50年間日本の征服する所必ず麻薬を伴えり・・・・

 

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