阿片政策

里見甫と満州と岸信介
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最終更新日:2014/05/28 17:01

闇の帝王としての里見は莫大な阿片の財力があるため、

興亜院、軍、政治家までがその金を頼りにするようになり、

満州国、国策会社、その他各方面に資金が流れるようになりました。

満州は各部署の代表は中国人がなっていましたが、実権は全て日本人が持っていました。

例えば皇帝は溥儀で、その下に国務総理(総理大臣)、各部大臣がいますが、そこまでは中国人です。

しかし国務総理を補佐するために国務院総務庁長官を、各部大臣の下に各部次長を置き、

そこが実際の権力を持っていました。

   *満州国組織の実権

国務院総務庁長官(最高権力者)

初代 駒井徳三(関東軍特務部長)

以降 大達茂雄

 星野直樹(日本の大蔵省から、A級戦犯)

 武部六蔵

 古海忠之(大蔵省から、中国の軍事裁判で18年の刑)

総務庁次長     岸信介(商工省から、A級戦犯、総理大臣)

各部大臣次長  実業部     岸信介

             法制局     武藤富男

             交通局     平井出貞三

そしてこれら満州国の人事権は内面指導と言う形で関東軍参謀第3課が持っていたので、

国の最高権力は関東軍が握っていた事になります。

岸信介が満州に行った時の第3課の課長は山下奉文でした。

当時の関東軍は司令官上田謙吉大将、参謀長板垣征四郎、憲兵隊司令官東条英機で、70万の大兵力でした。

* 古海忠之の回想録(岩波書店「世界」から)

重要事項は全部関東軍司令官の承認を経なければならなかった。

「何々の件承認ありたるに付き命により通牒す。関東軍参謀長」

という書面が総務長官に来なければ、政府は仕事をする事が出来なかった。

 

更に陰の実力者として元陸軍憲兵大尉の甘粕大尉がいました。

大杉栄や伊藤野枝を殺害したとされる人物です。

甘粕は表面的には満州国通信社や満州映画協会の理事などをしていましたが、

陰で里見甫と協力して中国大陸を舞台に数々の怪事件に関係し陰の帝王と言われていました。

里見甫が甘粕を通じて満州の影の部分に関係した事がわかります。

* 福家俊一  政治家、元上海大陸新報社長

「塩田潮著 岸信介」の中に書かれた話

里見は上海で阿片の総元締めをやっていた。・・・・

その莫大な阿片の上がりが軍事機密費として使われた。

関東軍が1株、満州国政府が1株、甘粕が1株という形で持っていた。

それが月に80万円にもなる。

(現在の20億円位)だから、甘粕は満州国の役人や軍人が内地(日本)に出張する時は、

飲むなら赤坂の「長谷川」、泊りは「帝国ホテル」に行けという調子で、後から一括して支払ってやっていた。

 

当時実質的に満州の政治と経済を動かしていたのは、よく言われる「2キ3スケ」という5人の人物でした。

2キ    東条英  星野直

3スケ   岸信介  松岡洋右  鮎川義介(日産の創始者)

その5人のバックに甘粕正彦がいて、甘粕を中心にして10人ほどの会をやっていました。

他のメンバ-には古海忠之や政治家の椎名悦三郎がいます。

正式な名称もないような会ですが、

さらにその陰のバックとして里見甫が阿片の販売益という面で関係している事は間違いないでしょう。

満州からの帰国後商工大臣になった岸信介の選挙資金の出所が里見だったという説がありますが、

あながち出鱈目とはいえないと思います。

 

その他の話としては

* 里見甫の墓に刻まれた「里見家の墓」という文字は岸信介が書いている。

* 古海忠之(満州国国務院総務庁長官)が里見の墓誌を書いている。

「・・・・支那事変の拡大とともに大本営参謀影佐禎昭の懇望により上海に移り

大陸経営(注:阿片政策)に参画、国策の遂行に当った」

古海は戦後、岸信介の世話で東京卸売りセンタ-の社長になっています。

* 佐藤栄作(後の総理大臣) 中支那振興会社社員  里見資金の援助を受けた

 

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