沖縄戦

沖縄人の愛国心
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最終更新日:2014/05/29 17:02

明治以降沖縄は一日も早く日本人つまり皇国民なろうと努力しました。

日露戦争のとき、最も勇敢だったのは沖縄出身兵(熊本第6師団)だったといわれている位です。

本土の日本人以上に愛国心に燃えていた面があります。

ですから「根こそぎ動員」での陣地作りや食料供出にも全面協力してきました。

それだけに住民は沖縄守備軍が住民の命や財産を守ってくれるものと信じていました。

しかし戦闘が始まると沖縄の思いは裏切られてしまいました。

戦陣訓(本訓3-7)には住民を愛護すべしとあるのに、自国の住民を苦しめたのです。

軍による次のような行為がしばしば行なわれました。

* スパイ容疑で殺す

1945年4月9日 命令書 球軍会議

・・・・軍人軍属を問わず標準語以外の使用を禁ず

沖縄語を以て談話しある者は間諜とみなし処分す

* 投降する住民を殺す

* 集団自決を強制する

* 避難していた壕から住民を前面に追い出し、兵隊が安全な場所に逃げ込む

* 住民を虐殺する

* 食料を掠奪する

 

多くの沖縄住民が戦闘ではなく自国の軍隊に殺害されました。

生き残った住民が「怖かったのは日本軍の方だった」「軍隊は住民を守らなかった」と語るのはこのことです。

* 1988年教科書裁判で沖縄戦の記述が取り上げられ、「住民虐殺」と「集団自決」が焦点になりました。

  当時の日本軍を擁護する国側証人として、元防衛庁の一富嚢氏と作家の曽野綾子さんが意見を述べました。

  沖縄人の気持ちを考えるとひどい意見です。

意見 集団自決は住民自らの選択である

     軍隊は住民を守るためにあるのではない

     壕追い出しは作戦遂行上必要な事であった

 

沖縄では地元行政も住民を守る立場には立たず、軍の方針に追従していました。

当時ですからある程度は仕方がないのかもしれませんが、

行政の上層部がほとんど日本から派遣されていたせいもあります。

 

* 1945年4月27日、南部で最後の警察署長と市町村会議が開かれました。

  その会議で県から出た指示事項です。    「消えた沖縄戦」 浦崎純 より

残忍な敵は我々を皆殺しにすると思う、

敵を見たら必ず撃ち殺すというところまで敵愾心を高める事

村に敵が侵入した場合1人残らず戦えるように竹やりや鎌などを準備して

その訓練を行なって自衛抵抗に抜かりのない構えをとろう

軍事を語るな、スパイの発見逮捕に注意しよう

住民を守るべき行政も、安全より総力戦で戦えと指導していたことがわかります。

 

日本からは差別感を持たれ、軍事的には捨石として少ない武力しかなく、沖縄側は献身的な愛国心を持ち・・・・

持久戦のために徹底的に住民が総動員されました。

 

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