沖縄戦

北部の餓死とマラリア
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最終更新日:2014/05/30 14:41

沖縄本島北部の山岳地帯には日本軍が配置されず無防備地帯でした。

将来遊撃戦をするつもりだったようです。

そのため避難民が続々と流入し、敗戦直後には30万人以上の人口になってしまいました。

勿論食料も着るものもありません。

そこへ日本の敗残兵が入りこみ軍民雑居になってしまいました。

敗残兵たちは「持久戦のため」という理由で住民から食料を掠奪し、拒否するとスパイ容疑で処刑しました。

北部での虐殺の原因は食料掠奪が目的でした。

餓死寸前の中にマラリアが流行しました。

避難した山中で餓死とマラリアで多くの家族が指揮を迎えました。

米軍に保護されて収容所に入った住民は20万人以上と言われ、

集団のためにさらにマラリアは猛威を振るい、毎日数十名が死んだといわれています。

その多くは無縁墓となっています。

   * 浦添市では沖縄戦が終了した6月24日以降だけで、243人がマラリアで死んでいます。(浦添市史より)

 

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