三光作戦

三光作戦
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最終更新日:2014/05/30 15:11

三光作戦という名称は日本側が付けた名前ではありません。

日本では「燼滅掃討作戦」「粛清作戦」「治安作戦」と呼んでいました。

しかしその作戦のあまりの凄まじさのため、中国側が三光作戦と呼んだのです。

* 日本軍は逆に全将兵の心得として「焼かず、犯さず、殺さず」を三戒とした。

1943年4月の小冊子「国民政府軍の参戦と北支那派遣軍将兵」の中で

北支那方面軍司令官岡村寧次大将の言葉として出てくる。

 

三光とは、焼き尽くし(焼光) 殺し尽くし(殺光)  奪い尽くす(搶光)の3つの光の意味です。

泥沼の戦況を打開するために、日本軍はゲリラの出没する地帯を無人化する計画を立てました。

その為住民を強制移動させました。

その作戦の過程でゲリラや住民の区別が出来ないため多くの悲劇的な事件が起こったのです。

ゲリラ、一般人、子ども、女性等生きている者は全て殺害し、食料は奪い尽くし、村を焼き払ったのです。

あとはただの荒野が残り、日本にとっては安全だと言うわけです。

その徹底さの為、証拠すら残らない村もあったそうです。

そのうち日本国内の労働力不足のため、働ける男は殺さずに強制連行して

満州や日本国内で強制労働を強いるようになります。

日本へは約4万人が連行されました。  (強制連行は別の原稿に書きました)

 

日本軍が起こした南京事件やその他の事件では、

作戦に付随して偶発的に起きた面があり、虐殺そのものが目的だったわけではありません。

しかしこの三光作戦は虐殺そのものが作戦目的でした。そこにこの作戦の異常さが表れています。

 

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