三光作戦

河北省野北村の虐殺
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最終更新日:2014/04/19 11:32

1941年8月6日、炭鉱労働者が多いこの村で起きた事件です。

日本軍は6日明け方「第2次治安作戦強化運動」の集会を開くという名目で

隣り合わせに並ぶ3つの屋敷に村人を集めた。

150人程であった。

集まったところへ6時過ぎ日本兵が来ると機関銃を据え付け乱射し、その後軍刀で切り、銃剣で刺した。

中国側資料では死亡100人以上、負傷約50人と言われている。

日本側資料では

「第2次治安運動は1941年7月7日から9月8日にかけて行なわれた華北での共産党撲滅の作戦だった。

激烈な闘争が一部で行なわれ、日中民間人から相当な犠牲者さえ生じた」とされている。

歴史叢書 北支の治安戦 1

尚、この作戦では一人の日本兵が混乱のさ中に数人の中国人を助け(李四黒さんの家族)、

又ある若者(李連灯さん)を射殺すると見せかけて村はずれで逃がした資料が中国側資料にあります。

村人は名前も分からないこの兵隊を感謝の気持ちを込めて遠くから観察していたそうですが、

その後病気で自殺(?)したとの事です

 

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