三光作戦

中国での軍事裁判
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最終更新日:2014/05/06 10:06

中国では、終戦時多くの日本軍人を戦争犯罪者として逮捕し、軍事法廷で裁きました。

しかし周恩来の「罪 に対しては徳を持って接する

罪を憎んで人を憎まず」という命令で一人の死刑や無期懲役も出しませんでした。

* 中華人民共和国での軍事裁判

戦後多くの日本人が戦犯として収容所に収容されました。

収容所は2ケ所あり、山西省の「太原戦犯管理所」に140人、

遼寧省の「撫順戦犯管理所」にはソ連のシベリアから移管された969名の

合計1100人以上が収容されました

管理所では世にもまれな人道的な扱いを受け、

捕虜達は次々と自ら供述書を書きました。

そして1956年6月と7月に瀋陽と太原で開かれた「最高人民法院特別軍事法廷」に45名のみが起訴され、

他の1000人以上は無罪で即日釈放されました。

うがった見方をすれば中国側には色々と思惑があったかもしれません。

しかしこのレポ-トにあるような犯罪を犯した兵士のほとんどが無罪になったことは大変なことでしょう。

収容所に勤務する中国人職員は親、子供、兄弟が犠牲になっています。

しかも食べる物が無いほど貧乏をしていました。

その中で何故日本人戦犯だけが優遇されるのか?(戦犯は白米を始め日本食を与えられた)

管理所ではかなり不満がたまり、中国全土でも抗議は起きたほどです。

周恩来は「日本が再び侵略をしないように・・・・この措置は何十年か後に分かる筈だ」と説得したそうです。

日本が逆の立場だったらこのように寛大な処置が出来たでしょうか

起訴はされましたが、死刑や無期懲役は出さずに最高20年最低8年の刑でした。

* 起訴された主要な名前は

 氏名

元の職務

刑期

釈放年月

備考

武部六蔵

満州国国務院総務庁長官

20年

1956年7月

病気釈放

鈴木啓久

陸軍第117師団師団長・中将

20年

1963年6月

満期前釈放

斉藤美夫

満州国憲兵訓練処処長・少将

20年

1964年3月

満期前釈放

富永順太郎

陸軍特務機関「富士機関」主事

蒋介石国防部中校副隊長

20年

1964年3月

満期前釈放

古海忠之

満州国国務院総務庁次長

18年

1963年2月

満期前釈放

藤田茂

陸軍第59師団師団長・中将

18年

1957年9月

満期前釈放

上坂勝

陸軍第54旅団旅団長・少将

18年

1963年8月

満期前釈放

中井久二

満州国司法部司法矯正総局長

18年

1963年9月

満期前釈放

三宅秀也

満州国奉天省警務庁庁長兼地方保安局局長

18年

1963年4月

満期前釈放

杉原一策

満州国司法部刑事司司長

18年

1963年9月

満期前釈放

佐古龍祐

満州国牡丹江鉄道警備旅団旅団長・少将

18年

1961年8月

満期前釈放

城野宏

太原綏靖公署教導総対象少将副隊長権処長

18年

1964年3月

満期前釈放

佐々眞之助

陸軍第39師団師団長・中将

16年

 

1959年死亡

長島勤

陸軍第59師団第54旅団旅団長・少将

16年

1959年末

満期前釈放

横山光彦

満州国ハルビン高等法院次長

16年

1961年8月

満期前釈放

原弘志

満州国鉄道警備軍参謀長・少将

16年

1957年9月

満期前釈放

今吉均

満州国警務総局警務処処長

16年

1961年8月

満期前釈放

田井久二郎

満州国チチハル市警察局特務科科長

16年

1957年5月

満期前釈放

                   以下省略

    そして1964年3月に全員が満期前釈放で帰国しました。

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