尖閣諸島

琉球処分
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最終更新日:2014/01/30 14:18

中国の臣下として冊封体制に組み込まれていた琉球王国は1609年に薩摩藩に侵略され属国のような扱いを受けました。

しかし薩摩藩は奄美地区を直轄地としましたが、

沖縄は一見独立国のように見せかけるために王国を存続させ、冊封体制を維持させたのです。

1872年(明治5年)維新慶賀使として、正使伊江王子朝直(尚 健)以下2名が上京し明治天皇に拝謁しました。

まだその当時、日本は琉球の事を異民族扱いにしていたようです。

* 井上馨の発言「かの酋長(琉球国王)を呼んで不臣の罪を責め・・・・」

明治政府は清国に気兼ねしてとりあえず琉球藩(注:県ではない)とし、

国王の尚泰を藩主として華族にとりたてました。

この処分は琉球で大問題になり、正使一行は売国奴と呼ばれ

冊封国である清国に助けを求めましたが既に清国にはその力がなかったのです。

* 1875年(明治8年)7月

明治政府は琉球藩王に清朝との朝貢・冊封関係をきっぱり絶つことを厳命した。

さらに明治年号を使用することを命令しました。

また琉球王の上京と大改革を強要しました。琉球では抵抗しこの時も清朝に救援を求め、

清朝は再三日本に抗議はしましたが具体的な支援は出来ませんでした。

* 1879年(明治12年)3月27日

明治政府の松田道之が処分官として、藩王代理今帰仁王子に処分の通達を交付し、

藩を廃止し沖縄県としました。これがいわゆる「沖縄処分」です。

このようにして沖縄は日本に組み入れられますが、

その後沖縄より南の尖閣諸島を明治政府はどのように扱ったのでしょうか。

 

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