尖閣諸島

解決への道のり
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最終更新日:2014/05/30 15:53

世界中どこでも領土問題は解決が難しい問題です。

通常の人間関係でも同じ事で、双方とも苦しむ問題です。

自分の主張を貫こうとすれば、相手は更に多くの主張をします。

譲らなければ戦争になるか、正常な関係は壊れます。

諸外国ではどうなのでしょうか?

領土問題を抱える国では、双方の長期的な利益を考えて、まず先延ばしし、

経済や文化交流を優先し、対立を避け、少しずつ譲歩し、多少の不満は我慢して解決へと進めています。

そのためにはお互いに前を向いて友好的に話し合いをするしかありません。

いざこざと解決の例を少し書きます。

* 中ソ国境紛争1969年 国境の川ウスリ-川の珍宝島がどちらの国の領土かで揉めました。

  その時の戦闘でソ連死者34人、中国死者30人が出ました。

  その時両首脳は声明を発表し解決を先延ばしにしました。

・ コスイギン 9月22日 「ソ連は中ソ関係の正常化を望む」

・ 周恩来   9月30日 「我々の方から戦いを挑むことはしない」

この声明で取り敢えず管轄権のみ中国がもち、領土は先延ばして、1991年中ソ国境協定で中国領となったのです。

20年以上かかっています。

中国はこの経験があったため、尖閣に関しても棚上げしたものと思われます。

* ドイツとフランス  1950年「欧州石炭鉄鋼共同体」

ドイツ議会外交委員長「戦後我々はフランスとの確執を克服した。

日中関係がどうして改善されないのか不思議だ。・・・・

相手の国がいかに非人道的な事を行なったかを指摘しあえばお互い山のようにある。

しかしわれわれは2度の戦争を繰り返しこのような犠牲を出す愚行をとめる決意をした。

憎しみを続ける代わりに協力しあうことの方が両国民に利益をもたらす事を示した。

安定した関係を作るには力の強いほうが譲歩しなければならない。

注:ドイツとフランスは歴史上長いこと戦争をしてきました。

     国境、海底の地下資源を巡ってです。

    それを解決したのです。

    それが現在の欧州共同体につながっているのです。

* ドイツとソ連

ドイツが敗戦時ソ連との国境問題を抱えていました。

アデナウア-首相  国境の決定は平和条約の完成まで停止する。

関係の発展を重視したのです。

* イランとイラクはシャトルアラブ川の国境紛争でもめていました。

   戦争でイラン死者30万、イラク死者20万以上も被害が出ました。

   1988年国連のもと1975年のアルジェ合意で合意し、

   川底の最深部(タ-ルベ-ク原則)が国境となりました。

 

第二次世界大戦で中国は戦勝国、日本は敗戦国です。しかも中国には多大な迷惑を掛けています。

国際法だけではなく道義と正義と友好の面も

加味して考えなければならない問題だから引き延ばしされているのかもしれません。

棚上げにしてきたという事は領土問題があるということです。

日本政府のように「領土問題は存続しない」と言い切るとこじれてしまいます。

又、解決は武力(戦争)か外交のどちらかしかない、と言う評論家もいます。

戦争か外交かと言う二者選択は恐ろしい事です。

戦争はあってはならないことです。

日本は周辺のアジア諸国と戦争の和解をまだきちんとしていません。

まず和解をしてから友好的な話し合いをするしかないと私は思っています。

ここで終わりますが話のネタ的に余談を1つ追加して終わります。

 

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