大東亜共栄圏

一億総懺悔
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最終更新日:2016/04/17 10:43

安倍政権で一億総活躍社会と言う言葉が使われました。

それを聞いて敗戦直後にいわれた一億総懺悔という言葉を思い出しました。

 

日本がポツダム宣言を受諾した時に、

あくまでも戦争終結に反対する軍部、特に陸軍にク-デタ-等の不穏な動きがありました。

天皇としてはその陸軍をうまく抑え、敗戦処理を円滑に進めるために

皇族でありしかも陸軍大将である東久邇宮稔彦王を総理大臣にする事に決めました。

東久邇は固辞したかったそうですが天皇に懇願されて引く受けたようです。

ポツダム宣言受諾3日後に1945年8月17日に総理になりました。

 その時の閣僚は 国務大臣 近衛文麿

         外務大臣 重光葵(9月半ばから吉田茂)

         大蔵大臣 津島寿一

         内閣書記官長兼情報局総裁 緒方竹虎

         陸軍大臣 下村定(8月23日迄東久邇が兼任)

         海軍大臣 米内光正

           他

戦争を終結する場合、

日本の場合無謀な戦争を仕掛けて敗戦になるのですから、戦争の責任が問題になります。

一口に戦争責任といっても、何故誰が戦争を始めたのかという開戦責任

戦争途中の作戦の失敗の責任、

何故敗戦になったのかという敗戦責任等色々考えられます。

日本の場合国家特に最高指導者として天皇が戦争を始めたのですから、

開戦責任を問題にすると天皇責任が問題になり、国体護持上不都合になります。

そのため戦争を始めたのは正しかったのだが、やり方が悪かったたため敗戦になった。

つまり敗戦の責任はどこにあるのか、ということを問題にする必要がありました。

敗戦直前に内閣情報局から各マスコミに対して

終戦後も、開戦及び戦争責任の追及などは全く不毛で非生産的であるので許さない」との通達が出されていました。

また戦争終結を「終戦」とするのか「敗戦」とするのか現在でもいい加減な呼び方がされていますが、

東久邇宮は「敗戦の現実をきちんと認識してはじめて国土が再建できると」敗戦を主張しましたが、

「国民の混乱を防ぎ、時局収拾を円滑にするため」終戦と呼ぶように説得されています。

そして結果として東久邇宮総理は極力敗戦責任に重点を置く発言を繰り返しました。

● 8月28日、日本人記者団と会見

・ 国体護持ということは理屈や感情を超越した硬いわれわれの信仰である。

    祖先伝来我々の血液の中に流れている一種の信仰である。

    四辺からくる状況や風雨にとって決して動くものではないと信じる。

・ 現在において先日下された詔書を奉戴し、これを実践に移すことが国体を護持することである。

    また一方詔書を奉戴し、また外国から提出してきた条項((注:ポツダム宣言)を

    確実に忠実に実行することによってのみわが民族の名誉を保持する所以だと思う。

・ 余りにも多くの規則、法令が発せられ、またわが国に適しない規制が行われた結果、

    国民は全く縛られて、何も出来なかったも、戦敗の大きな原因

・ お国のためにしていると思いながら、実はわが国は動脈硬化に陥ってしまった

・ ことここに至ったのはもちろん、政治の政策がよくなかったからでもあるが、

    また国民の道義のすたれたのもこの原因の一つである。

    この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。

    全国民総懺悔することがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信じる。

● 8月30日、上記を受けての朝日新聞の社説

正に一億総懺悔の秋(とき)、しかして相依り相扶けて(たすけて)民族新生の途に前進すべき秋である。

● 9月5日、国会での施政方針演説

事ここに至ったのは勿論政府の政策がよくなかったからではあるが、

また国民の道義のすたれたのもこの原因の一つである。

この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。

全国民総懺悔することがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ずる。・・・・

敗戦の因って来る所は固より一にして止まりませぬ、

前線も銃後も、軍も官も民も総て、国民悉く静に反省する所がなければなりませぬ、

我々は今こそ総懺悔し、神の御前(注:天皇の御前)に一切の邪心を洗い浄め

過去を以て将来の誡めとなし、心を新たにして、戦いの日にも増したる挙国一家、

相援け相携えて各々その本分に最善を竭し、来るべく苦難の途を踏み越えて、

帝国将来の進運を開くべきであります。

この一億総懺悔という言葉の意味は天皇・政府・軍部の戦争を始めた責任をあいまいにし、

国民を含め全部が悪かったのだから戦争に負けたのだということです。

そのことは戦後70年経っても私たち国民が自ら先の戦争の責任を調査し追及していないで

あいまいのままにしておく点では続いています

そして一億総懺悔と言う言葉は流行語になりました。

 

GHQとしては東京裁判上それでは困るので一億総懺悔を押さえ込む措置を取りました。

● 9月10日、「言論および新聞の自由に関する覚書」

報道可能な範囲を規定しGHQに関する事項の報道制限を実施

この後19日新聞に関するプレスコ-ド発表

「自由な新聞の持つ責任とその意味を日本の新聞に教える」

22日はラジオに関するプレスコ-ド発表

● 9月20日、中等学校以下の教科書から戦時教材を削除することを指示、教科書の黒塗りが始まる

● 9月24日、「報道の政府からの分離に関する覚書」

    報道への日本政府の統制支配が廃止された

(注:今また政府の報道への介入が始まっています

● 10月4日、「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去に関する覚書」

       及び「政治警察(特高警察)廃止に関する覚書」

    (内容)

1    天皇に関する議論を含む思想、言論の自由を抑圧する一切の法令の廃止

2    治安維持法関連の一切の法令の廃止

3    政治犯の即時釈放

4    治安維持法にもとづく特高など弾圧機構の解体

5    弾圧を担ってきた内務大臣、警保局長、警視総監のほかすべての特高警察の罷免

● 10月8日、GHQが「五大改革」を指令

    (内容)

1    女性の解放と参政権の授与

2    労働組合組織化の奨励と児童労働の廃止

3    学校教育の自由化

4    秘密警察制度の廃止

5    経済の集中排除と経済制度の民主化

上記4日と8日の覚書や指令から一億総懺悔や共産化対策が不可能と感じた東久邇宮は総辞職しました。

10月9日、幣原喜重郎内閣が誕生しました。

 

 

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