大東亜共栄圏

日本人と歴史認識
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最終更新日:2017/03/25 10:07

             このレポートは2000年8月から2002年10月にかけて書いたものに、

たえず加筆修正をしています。

 

日本が起こした戦争は1945年8月14日に、天皇がポツダム宣言を受諾する詔書を出して終わりました。

国民への発表は翌日の15日でしたが、

8月9日の御前会議ですでに国体護持を条件に受諾する事は決定していました。

もう数日早いペースで進んでいたら、広島や長崎の原爆も防げたでしょうし、

半年早ければ沖縄の惨状も防げただろうと心が痛みます。

* ポツダム宣言  1945年7月26日、ドイツのポツダムで署名されました。

  署名したのはアメリカ、イギリス(グレ-ト・ブリテン)、中国の3ケ国です。

  本来はソ連も参加していたのですが、

  日本との中立条約が切れる8月8日まで待ったため署名には参加していません。

  ポツダム宣言は日本の無条件降伏を要求し、

  同時にカイロ宣言の条項を確認して、

  日本国の主権は本州、北海道、九州、四国並びに諸小島と定めています。

* カイロ宣言   1943年11月27日、アメリカ、イギリス、中国が署名しました。

要点は

1 日本が1914年の第1次世界大戦の開始以降において

   奪取し又は占領したる太平洋における一切の島嶼を剥奪する

2 満州、台湾及び澎湖諸島のごとき日本国が清国人より盗取したる一切の地域を

   中華民国に返還する事

3   日本国は暴力及び貪欲により略取した一切の地域より駆逐せらるべし

4   朝鮮を自由かつ独立のものたらしむるの決意を有す

敗戦が8月14~15日として、開戦はいつだったのだろうかと考えてみると、

開戦は1941年12月8日、ハワイの真珠湾攻撃から始まったと学校では習っています。

この真珠湾攻撃から始まった戦争のことを私たちは太平洋戦争という名称で習いました。

しかし実際には日本の戦争状態は、中国侵略つまり1931年の柳条湖からの満州侵略から始まっています。

中国への、事変という名の侵略から始まって、真珠湾からの連合国との戦争と・・・・

日本は15年間ずっと戦争の連続でした。

太平洋戦争と呼ばれるのはその期間の最後の3年半に過ぎません。

ですから満州から侵略を始められた中国から見ると、

日本の敗戦までずっと侵略戦争が続いたわけですから「15年戦争」という呼び方になります。

最近では「アジア・太平洋戦争」という呼び方をする人が増えています。

私たちはこの「アジア・太平洋戦争」の事をどれだけ知っているでしょうか?

今回のレポ-トではこのあたりのことを細かく書いていきます。

 

日本人は世界でも珍しいくらい「歴史認識」がない国民だと言われます。

若者達は学校で習っていないから仕方がないのかもしれませんが、

私も含めて年配者にも歴史認識がないのは事実のようです。

歴史認識という言葉が難しければ、昭和の戦争の真実の勉強、と言いかえればよいでしょう。

侵略されたアジアの国々から見ると、日本の戦争責任に付いては不思議な事ばかりです。

何故、靖国神社に参拝するのかもその一つです。

もしドイツやイタリアでヒットラ-やムッソリ-ニの墓に政府の閣僚が参拝したら世界中で大騒ぎになるでしょう。

日本の場合は靖国神社にA級戦犯を祭っています。

ですから日本は負けても、東京裁判で裁かれても、

実は内心侵略戦争のことを反省してないのではないかと世界中から疑われています。

ですから天皇や首相が口先で謝罪しても信用されないのです。

そして私たち日本人がこのことに何も違和感を感じていないことこそが歴史認識のない証拠です。

このレポ-トでは3年半の間「戦場はどこだったのか」と「どこの国が相手だったのか」を考えて見ます。

日本(沖縄以外)も、アメリカ、イギリス、オ-ストラリアも戦場になっていないのです。

戦場は中国、香港、フィリピン、マレ-半島、ビルマ・・・・等アジアの国々です。

つまり宣戦布告をしていない国が戦場になったのです。

宣戦布告した当事国は日本を除いて戦場になっていないのです。

もう一つ大事なことは「それら戦場で日本軍はどの様な戦争をしたのか?」です。

私たちはこのようなことを考えた事がありません。

考えていないから「日本がアジアの国々に迷惑を掛けた」という認識もありません。

もし私たち日本人自身が日本の起こした戦争が良くなかったと心から反省していたら、

きっと自ら戦争犯罪者を裁いたことでしょう

そうなのです。日本は戦争責任者を自国の裁判で裁かなかった珍しい国なのです。

悪かったとは思っていても、どこかホンネでは「やり方がまずかったから負けた」位にしか思って言いないのです。

少なくとも戦後の教育に生かしてこなかったということはそういうことになるでしょう。

そのためでしょうか戦争責任や謝罪に関して日本人とアジアの人々の間に心の溝が出来てしまいました。

敗戦後日本の平和運動は、原爆や空襲や疎開のひどさや辛さを訴える事が中心、

つまり「戦争で日本人はひどい目にあった・・・・だから戦争はこりごりだ、もうイヤだ」というものでした。

そこには侵略戦争でアジアの国々や人々に迷惑を掛けたという姿勢がありません。

つまり被害者としての平和運動はあっても、加害者としての反省からくる平和運動は無かったということです。

この点がドイツやイタリアと違うところです。

そのような認識で原爆展をアジアの国々で開き、日本の被害のみを訴えると反発されるのは当然です。

戦後の私たちが歴史認識を持っていないのは、敗戦後の処理の仕方にも原因があります。

日本は連合国に負けたのですが、

連合国特にアメリカは極東軍事裁判(東京裁判)で戦後の対ソ連戦略を考えて

日本の早期復興、賠償不要、早期独立を主張しました。

つまり処理はアメリカの国益を中心に進められ、戦後もアメリカ中心の政治経済でしたので、

日本はアメリカとだけ戦争をし、降伏もアメリカに対してだけだと思ってしまったのです。

 

歴史認識に関して、韓国とドイツの2つの発言を引用します。

●李 寿甲 韓国・民主労働党顧問

1999年12月12日「戦争犯罪と戦後補償を考える国際市民フォ-ラム」にて

・・・・未来志向というものは何か?・・・・

過去のことは覆い隠して未来の事だけを見る事が出来るでしょうか。・・・・

過去の犯罪を10年間、100年間そのままにしておいたら、再びそのようなことを犯さないとは限りません。

ですから未来志向という言葉を使う事だけで許される事ではないと思います。・・・・

アジアの人たちが、ひとつになって過去の戦争犯罪について、

原則的な立場に立って処理を行なわなければならないと思います。

●ギュンダ-・ザートホフ ドイツ連邦議会政策スタッフ

1999年12月10日 同上フォ-ラムにて

・・・・「普通の国」になるということは、人々にしてみれば、

もう過去には関わりたくない、もう過去の事は済んだと考えたい。

そういう時代に生きているという事です

普通の国になることによる危険というものがあります。

それは過去を忘れていく傾向を持つということです。

ドイツは普通の国になると宣言し、

他の国家と同じように軍備を更に進め、紛争地帯に軍隊を派遣するようなことをするかもしれません。・・・・

このまま放置してドイツが平和な国家のままでいる保証はないということを意識する必要があります。

私たちは常に過去から学び続ける必要があります。

戦争犯罪をきちんと謝罪し、補償を続けているドイツでさえ「普通の国」と言う言葉に危険を感じています

ましてアジアの国々から見ると日本が「普通の国」になることを警戒するのは当然の事だといえるでしょう。

最初に「開戦は1941年12月8日、ハワイの真珠湾攻撃から始まったと学校では習っています。」と書きました。

実は日本は次から項目「大東亜共栄圏」を実現する為に最初にマレ-半島に上陸しています。

12月8日早朝2時15分にマレ-半島のコタバル攻撃を開始し、

イギリス軍との戦闘の中で上陸を開始しましたのがスタ-トです。

これがアジア・太平洋戦争の始まりです。

そしてアジアでは南京事件に匹敵する大虐殺を行っています。

南京に関しては別のテ-マとして書きますが、

この大東亜共栄圏ではフィリピンの事件やマレ-半島に事件も取り上げます。

日本の首脳がアメリカを訪問して、真珠湾攻撃に関し謝罪し反省することも大事かもしれませんが、

それより先にアジア諸国を訪問し、侵略の謝罪と深い反省をお金ではなく、

心のこもった態度で示すことが先決だと思います。

 

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