大東亜共栄圏

香港・遊撃隊討伐-住民虐殺
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最終更新日:2015/08/23 11:16

1945年8月15日に日本は敗戦を迎えましたが、香港の日本軍は敗戦の事実を秘密にしていました。

連合軍もまだ香港の日本軍の解体を始めていませんでした。

住民の一部では日本の敗戦の情報が流れましたが立ち上がるだけの軍事力がありませんでした。

敗戦の4日後、8月19日になっても日本軍はまだ虐殺を行っています。

この事実は大変な問題です。

日本国家・天皇が敗戦の宣言をした後で軍事行動を取る事は重大な国際法違反です。

しかしこの件はその後も問題になることはありませんでした。

敗戦後の虐殺は香港から1時間ほどのランタオ島の4つの村で、

5日間の「抗日遊撃隊討伐」の作戦名目の中で行なわれました。

   * ランタオ島 日本軍戦争犯罪記録 から  原文英語

8月19日 少数の抗日遊撃隊が銀鉱山に駐屯していた日本軍兵舎を襲撃した。

  日本軍は報復のため、村を襲った。

  村人全員が逮捕され、掠奪されたり放火されたりした。

  村人たちは海岸の日本軍兵舎に連行された。

  男や女や子ども達が見ている前で、2人の村の長老がひどく殴られた。

  その夜、2人は首を斬られてから焼かれて穴に埋められた。村人たちは殴られたり拷問を受けた。

   20日 2人の漁夫と1人の村人は、負傷した日本兵を船で運ぶように命令された。

  この3人は2度と帰ってこなかった。

  女と子ども達は釈放されたが、男達20人は、棒に縛られて拷問された。

  爪先が地面にかろうじてつくくらい位に棒に縛 られ、そのままにされた。

  食事も与えず、殴ったり蹴ったりされた。

  村をパトロ-ル中の日本兵は、2人の住民を見つけて 縛り上げて殴った。

  それでもあきたらずに首を斬ってしまった。

   22日 日本軍はT村を急襲して1人を射殺し、もう1人を兵舎まで連行して首を斬った。

  日本軍に気がついて山に逃げようとしていた女性は太股を撃たれて負傷した。

   23日 この村のすべての家屋が破壊された。

* 徐顴保さん 証言

今、戦争中のことを話していると、あの頃のことを思い出して悔しいやら哀しいやらで、

泣きたいような思いに駆られて来るよ。

日本とか日本人という言葉を耳にすると、良い思いは決して浮かばない。

日本兵だぞ、と誰かが叫ぶと山に逃げて震えていたもの。

鬼か悪魔みたいに思い、近づかないことが一番いいことだと親から聞かされていたよ。

それにウソツキで威張りやだった。

 

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