グアム島とミリ環礁の事件

 人口約24,000人のグアム島に

日本軍が侵攻したのは1841年12月10日です。

日本軍は陸軍が南海支隊

(第55師団中心で部隊長は堀井富太郎少将)で、

海軍が第4艦隊(司令長官井上成美中将)中心の部隊でした。

日本軍はアメリカ人捕虜(軍人、看護婦、民間人)421人を、

太平洋戦争捕虜第1号として日本本土に送りました。

その後、アメリカの反撃が始まる頃から

日本軍による住民虐殺がおきています。

 

●1944年7月15日~16日、

 日本軍はメリッソ村の住民46人をスパイ容疑で洞穴に入れ、

 手榴弾を投げ込んで虐殺した。

●フェナでは若い男女30人を洞穴に入れて銃殺した。

●戦後、手足が切断された51体のしたいがジゴ地域で、

 首を斬られて頭のない30体の死体がチャキナ地域で発見された。

 

「ミリ環礁の事件」

マーシャル諸島のミリ環礁は航空基地拠点として、

海軍第66警備隊(志賀正成大佐)と

陸軍南洋第1支隊(大石千里大佐)主力が占領しました。

住民500人ほどの島々に、

朝鮮人軍属を含め5,327人の日本兵が上陸したのです。

1945年になると住民、日本兵共に

飢餓地獄に陥りました。

日本軍は朝鮮人軍属を殺して食べ

「鯨の肉」と称して朝鮮人軍属にも与えました。

それを知った朝鮮人たちは、

自分達も危ういと逃亡を決意し、

3月1日未明に寝ている日本兵7人を殺しました。

しかし他の島から鎮圧部隊が派遣され、

朝鮮人軍属40~60人が殺され、

住民15人も銃殺されました。