大東亜共栄圏

ニュ-ブリテンの虐殺
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最終更新日:2014/05/10 10:43

いわゆる南洋と言っても第1次世界大戦以降実質的に日本の植民地になっていたミクロネシアの南洋群島

内南洋と呼ばれていました。

そしてその外側にはオランダ、オ-ストラリア、イギリス、アメリカ、ポルトガル等の植民地があり、

外南洋と呼ばれていました。

インドネシア以外では、ソロモン諸島、ギルバ-ト諸島、ニュ-ギニア、ニュ-ブリテン島・・・・です。

戦争が始まるとすぐに日本軍は外南洋を侵略し基地作りを進めました。

目的は資源の確保と、オ-ストラリアとアメリカの交通遮断です。

日本軍はニュ-ブリテン島のラバウルに航空基地を造ったため、

守るためにさらに南のガダルカナルやパプアニュ-ギニアに基地を造るようになりました。

そこでも多くの事件が起きています。

 

1942年1月23日、日本軍はニュ-ブリテン島のラバウルに侵略を開始し、

その1週間後に南海支隊第144連隊第3大隊はワイド湾のズンゲに進出しました。

日本軍は「降伏すれば生命が助かる」というビラを撒き、

森の中に隠れていたオ-ストラリア兵は信用して投降しました。

ところが日本軍は160名の捕虜を2月3日と4日の2日間で銃殺したのです。

奇跡的に逃げて生き延びた人は4人だけです。

   * 投降を勧めたビラ

      もしあなたが逃れようとするならば死ぬであろう。

      投降しなさい。

      そうすれば戦争捕虜として扱われるでしょう

   * 証言 漫画家 水木しげる氏

・・・・ある日ズンゲンの高台の一角で死臭がするところがあるのに気がついたんです。

行ってみると白骨死体が同じ形でうつ伏せになったまま枕木のように等間隔で並んでいるんです。

数え切れないほど沢山の死体でした。手を縛られて、

地面にうつ伏せにされたまま後ろから銃殺されたような死に方でしたね。・・・・

日本軍は当然食糧がありませんでしたから、

捕虜に食べ物を与えて養うなんてとんでもないという考えでした。・・・・

その後も日本軍による住民に対して虐殺事件や強姦事件を起こしています。

   * 第144連隊第1大隊長は首長の娘を宿舎に連れ込んで強姦しようとした。その夜娘は自殺した。

   * ロン村首長アルフォンヌさんの話

 オーストラリア兵を捜して来いと、日本軍が私の父で大首長だったマタブンや他の村々の首長に命令しました。

 でも見つけられませんでした。

 怒った日本兵は見せしめに父や他の首長を処刑したのです。

   * イワイ村タイプケンさんの話

 ・・・・穴を掘らせてから、首を斬って、首も死体もそのまま穴に捨てた。・・・・

 私の兄キガルも殺された。

 パトロ-ルを命令され、疲れたと言っただけで処刑された。・・・・

 日本軍に逆らったらもう処刑でした。・・・・

 洞窟にはトップのキャプテンがいました。

 部下の日本兵がグマ村、ロン村、イワイ村から1人ずつ女を連れてきて相手をさせていた。

   * マラグナ村アンドリュ-さんの話

 ・・・・ある人がシャベルですくい上げた土を穴に入れようとした時、

 後ろからやってきた日本兵の足にかけてしまったんだ。

 彼は処刑されることになった。

 彼と一緒のグル-プ7人が並ばされた。

 「穴を掘れ」。それで穴を掘った。

 目隠しをされ後ろ手に縛られた。

 そして日本兵はピッケルで彼の後ろから頭を叩き潰した。

 脳が叩き潰された。それから穴に突き落とされた。

 7人とも同様にされた。・・・・

   * マラグナ村タンバランさんの話

 この村の1人は、生埋めにされて頭だけ土の上に出して、その頭を棒で打たれた。

 

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