大東亜共栄圏

ニュ-ギニアの人肉食
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最終更新日:2014/05/10 10:53

フィリピンだけではなくニュ-ギニアでも人肉食は多発しています。

ニュ-ギニアでは戦争初期の1942年には早くもココダ戦線で人肉食の報告があります。

1943年には日本兵が被害者になる事件も起きました。

まず元日本兵の体験記録を見てみます。

* 極限の中の人間-死の島ニュ-ギニア  尾川正二 著

ここで恐ろしい事実を見たのである。

行き倒れた兵隊の腿がざっくりと抉りとられていたのである。・・・・

Yと2人山道を急いでいたら、見知らぬ部隊の4~5名に呼び止められた。

食事を終えたところらしく飯盆が散乱している。

「大きな蛇の肉があるんだが、食っていかないか」というのである。

そのにやにやした面が気に入らなかった。

何かがある、と直感した。

共犯者を強いる、そんな空気を感じたのは思い過ごしであろうか。・・・・

腿の肉を切り取られた死体の数は、1つや2つではなかったのだ。・・・・

 

オーストラリアの戦争博物館や国立公文書館に保存されている資料(田中利幸氏発見)から見てみると、

人肉食の被害者は次のようになっています。

1        オ-ストラリア兵

2        捕虜や強制連行された労務者

3        ニュ-ギニアの原住民

4        日本兵

資料はオ-ストラリア陸軍が調査したものですから、どうしてもオ-ストラリア兵の被害が中心になっています。

それだけでも100件近い報告があるそうです。

* C・ヒュ-ゴ准将の証言

*月*日、午前9時、私はJ・グリフィン兵長並びに故スウェル曹長と共に**における

   敵軍との交戦によって殺害された○○の身体を回収しました。

   我々が発見した身体は以下のような状況にありました。

1 衣類は全部はがされていました

2 両肩が肩から削ぎ落とされていました

3 胃が切り取られており、心臓、肝臓、その他の内臓も抜き取られていました

4 肉の部分がすべて身体から切り落とされており、骨がむき出しになっていました

5 両腕、心臓、肝臓、その他の内臓を発見する事は出来ませんでした

6 手が触れられていない身体の部分は、頭部と(くるぶしから下の)足だけでした

  2人の日本兵の死体の中間に横たわっていた○○の身体から、4ないし5ヤ-ド離れた場所に

  人肉と思われる物が入っている日本軍の飯盒が転がっていました。

 

「捕虜や原住民の被害者」

* ハタム・アリ上等兵の証言  パキスタン人捕虜

この頃から、日本兵達は捕虜の中から毎日1名を選んで連れ出し、殺害して食べる事を始めました。・・・・

この場所では100名ほどの捕虜が日本兵によって食べられてしまいました。・・・・

選ばれた捕虜は、小屋の中に連れて行かれ、生きたまま身体から肉を切り取られました。

そして、生きたまま地面に掘ったくぼみに投げ込まれ、そこで死んでいきました。

肉が削ぎ取られるとき、選ばれた捕虜は恐ろしい泣き声と金切り声の悲鳴をあげ、

投げ込まれたくぼみの中からも同じような声が聞こえました。・・・・

身体に土がかけられなかったため、ひどい悪臭が漂ってきました。

* ウィンバップさんの証言 ニュ-ギニア原住民

日本軍が立ち去った後、私と仲間たちは村に戻って来ました。

その時私はWの身体を見つけました。

胸、太股、ふくらはぎ、臀部、背中から肉が切り落とされていました。

彼の両肩にも切り傷が入っていて、両腕がなくなっていました。

内臓には手がつけられていませんでしたが、頭部のてっぺんがかち割られて脳が抜き取られていました。

肉はなにか鋭い刃物で切り落とされたように見えました。

Sの身体にも切り傷がありましたが、肉は取られていませんでした。

近くに日本軍が料理のために焚火をおこした跡があり、その中に人間の前腕の骨を見つけました。

この前腕は焚火の中で焼かれており、ごく少量の肉の断片がまだ骨にくっついていました。

この焚火の周りにはタロイモやヤマイモの切れ端がころがっていました。

 

「日本兵の被害」

   日本兵被害者の記録は正式なものは残っていません。

   林えいだい氏が聞き取り調査をした台湾の高砂族の元日本軍属「林徳生」さんの証言を引用します。

* 林徳生(本名 パンライ、日本名 野田耕吉) 1994年証言

・・・・人肉を食べた話は、これまで高砂義勇軍の仲間から聞いたことはある。

だが目の前の白骨と黒い皮膚を見ると、林さんの身体が震えた。

第18軍の軍司令官通達で、日本兵の人肉を食べることは厳禁されていた。

半年間も糧秣の支給がないと兵隊達は飢えていた。

人肉を食べることに無感覚になり、飢えを満たす為には最後も掟も破った。

米兵のことを白豚、豪州兵は顔が赤いので赤豚、現地人は黒豚といい、

日本兵はごった煮とも煮込みともいって食べた。

友軍の日本兵の肉であろうと敵兵であろうと、飢えの前には手段を選ばなかった。

・・・・その夜、2人の兵士が突然お腹を抱えて苦しみ出した。

空腹のところへ人肉を沢山食べたので、消化不良を起こしたに違いなかった。

朝になると苦しんでいた2人はすでに死んでいた。

・・・・「パ-ン」昼も夜も、ジャングルの中で銃声が響いた。

1発だけの銃声の場合は1人の自決で・・・・「ドカ-ン」と強い振動を感じる場合は手榴弾による自決だった。

いずれにしろ銃声が聞こえるとおとがした方に落伍兵が群がってきた。

自決した死体を銃剣で切って、彼らは生のままむさぼり食べた。・・・・

煙は禁物なので、死体の頭を割って脳を手づかみで食べ、肝臓など栄養分のある内臓を生のまま食べた。

夜になってはじめて残った肉を煮て食べたのである。

仮小屋でたむろしている兵隊とか、2~3人でぶらぶらしている目つきの悪い落伍兵は注意するようにした・・・・

 

人肉食は餓鬼の極限状態になった個人がやむにやまれず行なったことだけではないようです。

少数かもしれませんが、部隊全員が組織的に行なった例もあるようです。

個人であれ集団であれ、狂気が日常化して麻痺したものと思われます。

敵味方を問わず人間特に新鮮な死体は獲物だったのでしょう。

 

人肉食事件の多発に困った日本軍は極秘命令書を出して事件を防ごうとします。

しかしなかなか防ぎ切れない為、日本兵の肉を食したら死刑に処するが、

敵兵の肉を食する事は許可するようになります。

* 陸軍-極秘  第41師団秘密命令書 第24号  1944年11月18日

           注:オ-ストラリア側の資料を田中利幸氏が日本語に再翻訳したものです

             青津少将の命令といわれています。

全指揮官宛

最近、犯罪特に殺人、強盗、人肉獲得が当該師団管轄区域において頻繁に起きており、

軍の士気に由々しき影響をもたらしている。

この状況を憂慮し、これまでに犯罪の早期発見と防止に関する指示をしばしば発令した。

しかしながら、これらの行為は人間性の観点から見ても、

また当然陸軍の紀律(規律のこと)からしても許しがたいものである。

当該師団はこうした犯罪の根絶のために努力しなければならない。

こうした重大な事態を発生させている主たる原因は士気教育が徹底していないことにある。

一般刑法と陸軍刑法の両方、とりわけ陸軍刑法の実体が全将兵に教育されなければならない。

帝国軍人として我々は仏教の訓戒を守ると同時に、この種の犯罪を前もって防止すべきである。

これらの犯罪に対しては発見次第即刻処置が行なわれ、適切な命令が下されなくてはならない。

命令配布 第237歩兵連隊本部(その直接指揮下にある部隊を含む)

第237歩兵連隊第1、2、3各大隊

第8独立工兵連隊第1中隊

第36砲兵部隊(第15砲兵部隊を含む)

通信本部  第3野戦病院  食塩製造部隊

         別紙 途中省略

          第3部「陸軍内部の特別命令」

A. 陸軍内における殺人に関しては一般刑法と照らし合わせ、以下のような犯罪が死刑に値する

               1.2.省略

               3.人肉獲得を目的に殺人を犯したる者

B. さらに、刑法においてなんらの関連法はないが、

    人肉(敵のそれは除外する)を人肉と知りつつ食したる者は、

    人間の最悪の犯罪に当ることから死刑に処する

 

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