大東亜共栄圏

犬死論・近衛上奏文
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最終更新日:2016/04/07 17:13

戦争中は死んだ兵士の事を「軍神」、「靖国の英霊」として祭り上げ、賛美して来ました。

現在でもある漫画家は「戦争論」という漫画で「公」のために死ぬ事を美化しています。

それに対して侵略戦争で死んだのだから「犬死」だと言う人もいます。

解釈はどうあれ、犬死と言う言葉は遺族にとっては納得できないという議論もあります。

そこで、実際に日本軍の死者について少し細かく見てみたいと思います。

兵士の死亡原因と死亡時期を詳しく見てみます。

* 死亡原因

日本政府の統計では、アジア太平洋戦争での日本軍死者は約230万人とされています。

その内容を見ると、病死、栄養失調で死んだ人が120人以上と言われ半数以上を占めています。

つまり戦闘で死んだより病気や餓死が多かったという事です。

     ・ フィリピン       約500,000人の死者   約8割が餓死、栄養失調死

     ・ 東ニュ-ギニア     約127,600人の死者   約9割が餓死

注: 尾川正二「東部ニュ-ギニア戦線」によると、

参加した日本兵は157,646人で敗戦時生存者は10,072人となっていて、

死亡率93.6%になっています。

     ・ ソロモン群島    約88,200人の死者    6~7割が餓死

     ・ ビルマ       約164,500人の死者   5割以上が餓死

* 病死率の推移

厚生省の聞き取り資料、4,296人の死亡状況の調査分析から、2,960人分です。

ソ連での人数は除く

時期

戦死

病死

その他

病死率

1944年以前

365人

77人

21人

463人

17%

1945年1月

87人

19人

6人

112人

17%

2月

154人

25人

10人

189人

13%

3月

225人

43人

5人

273人

16%

4月

270人

52人

12人

334人

16%

5月

258人

55人

4人

317人

17%

6月

292人

86人

11人

389人

22%

7月

252人

143人

12人

407人

35%

8月1~15日

97人

72人

9人

178人

40%

8月16~31日

48人

93人

12人

153人

61%

9月

23人

115人

7人

145人

79%

合計

2,071人

780人

109人

2,960人

 

*戦没者の集計 軍人・軍属・一般邦人

地域

戦没者数

旧満州(中国東北部)

245,400人

中国本土(旧満州を除く)

465,700人

沖縄

188,100人

硫黄島

21,900人

韓国

18,900人

北朝鮮

34,600人

台湾

41,900人

樺太・千島・アリュ-シャン列島

24,400人

旧ソ連本土

52,700人

モンゴル

1,700人

ミャンマ-

137,000人

インド

30,000人

フィリピン

518,000人

ベトナム・ラオス・カンボジア

12,400人

タイ・マレ-・シンガポ-ル

21,000人

ボルネオ

18,000人

インドネシア

31,400人

西イリアン(モルッカ、西部ニュ-ギニア)

53,000人

中部太平洋

247,000人

ビスマルク諸島・ソロモン諸島

118,700人

東部ニュ-ギニア

127,600人

 * 死亡時期

死亡時期は1944年7月のサイパンが陥落した後、つまり戦争期間の最後の1年間に集中しています。

・ 1943年9月30日、御前会議で「今後採るべき戦争指導大綱」と

   「右に基づく当面の緊急措置に関する件」を決定し「絶対国防圏」を設定しました。

    絶対国防圏とは絶対に守る地域を設定し、それ以外は放棄するという政策で、

    その決定時点で放棄する場所にいた部隊は見捨てられたのです。

       絶対に守る地域は次の通りです。

         千島、小笠原、内南洋(中・西部)及びニュ-ギニア、スンダ、ビルマ等を含む地域

        注:この頃から日本は負ける見通しとなり、拡大した戦線を維持出来なくなってきたのです。

      その為に縮小した防衛範囲を決めたのです。

    そこで置き去りにされた兵士に病死や餓死が多発したのは当然といえます。

    国家と言うのは冷たいもので、いつも末端の人間を犠牲にします。

・ 1944年7月にサイパン島が玉砕して絶対国防圏は破られました。

    そこで時間稼ぎのため「捷号作戦」を決め、絶対国防圏を縮小しました。

          縮小した絶対国防圏は次の通りです

    台湾、南西諸島、本土、千島

       そのためその外側の部隊はさらに見捨てられることになってしまったのです。

・ 1944年8月19日、御前会議で「別紙世界情勢判断」が採択されました。

   その中に示された判断は・・・・

           本土空襲は激化する

           海上交通は破壊される

           ドイツの戦局は益々不利になる

           船舶の輸送量は計画の1/3になる

           国力は低下の一途をたどり、国民生活は逼迫の度を加える

   このように戦争継続は無理な状況にあったにもかかわらず、

   結論は「あくまで戦争の完遂を期す」となりました。

・ 1944年12月15日、レイテ決戦の戦死者が8万人以上で、死亡率が97%になったため、

   山下奉文第14方面軍司令官は作戦を中止しました。

   しかし部下の鈴木宗作第35軍司令官は続けろと指示したのです。

   「・・・・其の作戦地域内に於て自活自戦永久に抗戦を継続し

   国軍将来に於ける反抗の支柱たるべし・・・・」

   まさに沖縄戦の最後に牛嶋中将が出した命令と同じで、

   軍は解体するが個人で永久に戦えというひどい命令でした。

 

そして1945年1月6日、アメリカ軍がルソン島への上陸準備をしているとの情報で、

天皇は木戸幸一に対し、重臣たちから秘密裏に意見を聞くように指示しました。

意見を求められた重臣は「平沼騏一郎」「広田弘毅」「近衛文麿」「若槻禮次郎」「牧野信顕」「岡田啓介」

「東條英機」ですが、この中の近衛文麿が天皇に拝謁した時のやり取りを取り上げます。

前年、サイパン陥落後にアメリカの放送を傍受した近衛は、

亡命中の大山郁夫を首班として「日本共和国」建設の動きがあることを知り危機感を抱いていました。

「近衛上奏文」      1945年2月14日 (原文を一部現代語に直しました)

敗戦は遺憾ながらもはや必至なりと存知候。

以下この前提のもとに申し述べ候。

敗戦は我が国体(注:天皇制)の危機ではあるが、

英米の世論は今のところ国体の変革までは進んでいない。

そのため敗戦だけならば国体上憂う要なしと存知候。

国体の護持より最も憂うべきは、敗戦よりも敗戦に伴って起こる共産革命に御座候。

(中略)

戦局への前途につき、何らかの一縷でも打開の望みありというならば格別なれど、

敗戦必至の前提のもとに論ずれば

勝利の見込みなき戦争をこれ以上継続するは、全く共産党の手に乗るものと存知候。

したがって国体護持(注:天皇制維持)の立場よりすれば、

一日も早く戦争終結の方途を講ずべきものなりと確信致し候。

(以下略)

この上奏文に驚いた天皇は御下問します。

以下は天皇の下問と近衛の返事です。

(天皇)

我が国体について、近衛の考えとは異なり、

軍部では米国は日本の国体変革までも考えていると観測しているようである。

その点はどう思うか。

(近衛)

軍部は国民の戦意を昂揚させるために、強く表現しているもので、

グル-次官らの本心は左にあらずと信じます。

・・・・ただし米国は世論の国ゆえ、今後の戦局の発展如何によっては、

将来変化がないとは断言できませぬ。

この点が、戦争終結策を至急に講ずる要ありと考える重要な点であります。

(天皇)

もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う

(近衛)

そういう戦果が挙がれば、誠に結構と思われますが、そういう時期がございましょうか。

それも近い将来でなくてはならず、半年、一年先では役に立たぬでございましょう。

 

近衛の最後の「半年、一年先では役に立たぬ」という言葉が的中して沖縄戦、原爆の悲劇になりました。

このように見ていくと、完全に負けると分かった後もずるずると戦争を続け、

兵隊は国家から見捨てられたことが分かります。

もし、戦争があと1年早く終わっていたらと考えると・・・・

沖縄や原爆の悲劇がなかっただけではなく、多くの兵士や民間人の命は救われたかもしれません。

 

何故戦争終結が出来なかったのでしょうか?

戦争に負けることが分かっていても、

近衛上奏文にあるように、国体護持つまり天皇制が守られるという約束が保証されるまでは、

国民がどんなに犠牲になっても戦争を止めるわけにはいかなかったのです。

それと「軍人勅諭」と「戦陣訓」の教育を受けた兵士は降伏する事が出来なかった事も原因でしょう。

現代では「人はいかに生きるか」が当然ですが、

軍国主義では「天皇のためにいかに死ぬか」が強制されたのです。

現代でも国の為、大義の為という言葉を振りかざす人がにいますが、

国民が国を作るのではなく、国家あっての国民という考えで、非常に危険です。

 

そこで、犬死論です。

言葉にこだわると感情的になってしまいますが、

指導者の決断一つで助かったかもしれないという事は考える必要があると思います。

 

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