中国人強制連行

連行方法
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最終更新日:2014/06/01 14:09

供出方法に色々な名前が使われたとしても名目上で、

侵略している相手国から連れてくるので、まともな手段では労働者は集まるはずがありません。

強制的な連行しかないのです。

有名なうさぎ狩り作戦といわれる連行について証言を載せます。

(全て少し読みやすくしています)

   * 矢崎新二 証言

昭和18年9月、北支の各師団では労工狩りの実習がありました。

野っ原に円陣をはり、各中隊旗をたて、ドラを鳴らし、ウサギを追い出し捕まえる演習です。

私は実際の作戦には参加しませんでしたが、方面軍からの命令は知っています。

  1        17から45歳までの男子はすべて逮捕すべし

  2        断髪の女性は逮捕すべし

  3        逃げる者、反抗する者は射殺すべし

そして昭和18年10月、北支那派遣軍の作戦として、

59師団から部隊が抽出され、山東半島の付け根に集結しました。

兵隊は10メ-トル間隔くらいに並び、山東半島を押し上げる形で人狩りを矢っていった訳です。

附近の海上は海軍が船を浮かべて封鎖しました。

   * 城野宏 証言

・・・・村を取囲み、50人1組にして縛り上げで人狩りをし、

済南の収容所に持って来て、各地へ配分するわけです。

主として満州と内地でしたね。

内地へはこの時1,000人余り、青島から船で送ったんです。

船が来るまで砂浜に鉄条網を張って、そこに放り込んでおいた。

メシもろくに喰わせず、ここで1/3の200人余りが死んだ。

フラフラの彼らの所に憲兵がやってきて、拷問したりしましてね。

配分については興亜院から連絡部を通じて方面軍司令部へ政府の意向が伝えられ、

それにもとづいて行なわれたものと思われます。

   * 大野貞美 証言

・・・・部落から部落をずっと押して行って、18歳から45歳までの男子を全部集める。

それと山羊、牛、豚、真鍮類を全部集めるわけです。

村人にそれを全部持たせて一定の地域に集合させるわけです。

そこに軍のトラックが来て、山羊は山羊、真鍮は真鍮、人間は人間でまとめて連れて行くのです。

つまり戦闘が目的ではなくて、物資の掠奪と人間の徴発が目的なんです。

人間は青島に大きな体育館があるわけですが、入りきらないので、第一公園の競馬場に入れたわけです。

その数は何千だか何万だか分からんです。

   * 小島隆男 証言

強制連行は、1942年頃やりました。太平洋戦争が激しくなってきて日本の労働力が不足してきました。

軍司令官命令で、中国人を強制逮捕し、強制連行、強制労働につかせて、労働者の不足をカバ-するのです。

「いかにしたら、中国人を効率よく逮捕できるか」という課題を命令として軍司令官から受け、

我々は1ケ月にわたって訓練しました。

作戦は抗日根拠地を中心にコンパスで半径16キロメ-トルの円を描く、そういう大きな円をこしらえて、

そこへ何万もの軍人を円周上に並ばせて包囲体形をとらせます。

1個中隊が4キロメ-トルの横隊になり、各隊には憲兵を配備します。

上空には飛行機が情報投下のため飛び回っています。

その円の中にいる中国人を中心へ中心へと追い込む作戦を行ないました。

包囲圏の上を絶えず飛行機が飛んでいて、早く出すぎるところは通信筒を落として「もっと遅く行け」、

遅れているところは「もっと早く行け」と先を急がす。

そして、もしも頑強に抵抗する部落があった場合には、予備に置いてある戦車隊で攻撃する。

この作戦はいわゆる「うさぎ狩り作戦」です。

半径16キロメ-トルの円周をだんだん縮めながら、中にいた中国人を捕らえては憲兵隊に引き渡しました。

この時抵抗する民衆は出来るだけ殺さず、憲兵はその中から身体の丈夫そうな人を捕まえ、

後手に数珠繋ぎに縛って連れて行きました。

こうして捕まえた人々をがんじがらめに縛り、貨車に詰めるだけ詰めて、外から針金で入口を縛り、

立たせたままで強制連行しました。

駅について食事を与えるにも窓から投げ入れるだけです。

窓の近くにいた人だけ受取って、大小便は垂れ流し、大きな駅に着くと扉を開けて死体を放り出して、

また汽車は動き出す。

これが私の知っている強制連行です。

 

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