中国人強制連行

日本への移送
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最終更新日:2014/06/01 14:11

上海、塘沽、大連から船に乗せられた中国人労務者は日本の下関、大阪、神戸、富山等に上陸し、

そこから全国に転送されました。

当時は戦争末期で日本に不利な状況で、海上輸送は非常に危険を極め、

さらに物資を運ぶ船さえも不足していた状態だったのです。

その為中国人たちは貨物船に石炭、塩、鉱石と一緒に積み込まれ、

危険を避けるために迂回して航行したため、かなりの日数を要しました。

日数は早いもので4日、長いもので39日もかかっています。

連行と収容所での生活でかなり衰弱していた中国人たちは、

日本への輸送途中や各地の作業所への転送途中でもかなり死亡しています

   * 途中での平均死亡率  2.1%

特にひどいのは

   * 伊藤組置戸作業所へ配送された労務者の途中死亡率  16.6%

   * 北海道炭鉱空知天塩への配置では23%が途中死亡しています

この数字は連行や作業だけではなく、輸送途中でも残酷だったことを物語っています。

 

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