日本の毒ガス戦

東南アジア・太平洋地域での毒ガス使用
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最終更新日:2016/05/07 9:41

アメリカによる日本の毒ガス調査(日本軍が化学兵器あるいはガス兵器に訴える意図を示す事件および証拠の調査)には

東南アジアや太平洋地域での使用例が書かれています。

季刊戦争責任研究第40号の吉見嘉明論文を参考にします。

● マレ-

日本軍は青酸手投弾・催涙ガス手投弾を携行している。

● ビルマ

1.赤筒を捕獲

2.戦車に対する手投弾(青酸)の使用(2回)

● 南西太平洋

1)1942年12月25日、ニュ-ギニアのSapetoで、日本軍が催涙ガス筒・嘔吐性ガス筒を放棄。

2)1943年2月6日、ガダルカナル島で青酸ガス手投弾を捕獲

3)同年2月8日、ガダルカナル島で青酸ガス手投弾を捕獲

4)同年1月23日・28日、包囲された日本軍部隊がガスを使用

5)1942年10月28日、ニュ-ギニアで捕獲された大144連隊第7中隊記録には、

   発炎筒を使い果たしたとの記述あり。

6)ブナで捕獲した捕虜の供述によれば、サイパンでガスマスクを置いてくるよう命令された、という。

7)ブナで捕獲した別の捕虜の供述では、ラバウルでガスマスクを置いてくるよう命令された、という。

8)ポ-トモレスビ-で捕獲した捕虜の供述によれば、

   あか筒・ガス手投弾などをポ-トモレスビ-攻撃のために携行した、という。

9)ブナで捕獲した捕虜の供述によれば、攻撃用の毒ガス訓練は受けなかった、という。

10)ブナで捕獲したルースリ-フは、ガス手投弾が携行されていることを示している。

11)Kokodaで捕獲した捕虜の供述によれば、ラバウルでガスマスクを置いてくるよう命じられたため、

   だれもガスマスクをもっていない、という。

日本軍は1944年7月14日に毒ガス使用を中止する命令を出していますが、

孤立して小さな部隊はその後も使用を続けています。

ニュ-ギニア北部のビアク島の山中で孤立した部隊です。

● ビアク島における日本軍の嘔吐性ガス使用説に関する総括報告 1945年4月25日

アメリカ陸軍兵站司令部主任化学将校ジョン・リディック中佐

1945年3月6日夜8時、日本兵が99式あか筒を2本使用した。

第579対空警報中隊の5名の兵士が嘔吐した。

中隊全体に頭痛と眼・咽喉の軽いヒリヒリ感を訴えるものが生じた。

急襲であったため、ガスマスク装着が間に合わず、その防護効果はなかった。

翌3月7日朝10時15分、フィルム・装備交換所で、あか筒2本が使用された。

附近の兵士が頭痛とノド・鼻の痛みを訴えた。ガスマスクの使用は効果があった。

 

 

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