日本の毒ガス戦

東京裁判でのうやむや
記事専用プリント対応ページ

最終更新日:2014/03/22 10:01

東京裁判で捜査を担当したト-マス・モロ-大佐は、

1946年3月中国を訪問し毒ガス使用の調査をし証拠を集めました。

裁判での起訴状には毒ガスについて書かれていましたが、

1946年8月12日、モロ-は突然アメリカに帰国してしまいました。

その為か結局裁判では取り上げられずうやむやになってしまいました。

                          (立教大学粟屋教授の調査から)

突然の帰国の正確な理由はよく分かりませんが恐らく次の事が考えられます。

毒ガスを裁くと細菌戦の事実も明るみに出る。

                      (秘密で細菌戦の資料をアメリカが資料を欲しかった)

毒ガスを裁くと逆にアメリカの原爆投下も問題になってしまう。

日本の毒ガスを過度に追求すると、将来米英は使用しづらくなる。

* 米陸軍化学戦総括部隊部隊長 マッカ-サ-大佐の覚書  中央大学吉見教授調査

日本の毒ガス戦争を追求断罪したら、

米国では今後毒ガスを戦争手段として使用できなくなる。

裁判の訴因から毒ガス戦の追及を外すよう働きかけるべきだ

追求されなかったばかりに闇から闇へと葬り去られ、

私たち国民もその事実を知らず、日本政府も毒ガス等を使用しなかったという立場を取ってきました。

しかしながら1992年、中国に大量の毒ガス弾が放置されている事が発覚しました。

中国政府の発表では200万発とも言われます。

日本政府はその後も無視し続けましたが、

自衛隊が現地調査をして、旧日本陸軍の弾薬だと確認されました。

日本政府はそれでも尚「確認はしたが、当時使用したのは催涙ガスとくしゃみガスのみで、

他の毒ガスは使用していない」と主張しています。

事実はどうだったのか?

今回のテ-マです。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ご意見・ご感想はこちらへ ※個人情報の取り扱いについて

お名前 (必須)

メールアドレス ※返信をご希望の方はご記入ください

メッセージ本文