日本の毒ガス戦

毒ガス製造工場
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最終更新日:2014/06/15 9:58

毒ガスはその使用頻度から考えて陸軍が主ですが、海軍もあります。

陸軍は1929年に広島県の大久野島に毒剤製造工場を建設しました。

それ以前、1902年から大久野島は広島や呉の軍港を守るために砲台や火薬庫を備えた「芸予要塞」でした。

白川義則陸軍大臣、政友会代議士望月圭介、忠海町町長望月忠吉(望月圭介の息子)らの計らいで

誘致が決まりました。

工場の正式名は「陸軍造兵廠忠海製造所」です。

場所は鉄道の三原と竹原の中間忠海駅にある港、忠海港から船で15分位のところにあります。

*1988年に設立された現地の資料館資料では、5種類の毒ガスが製造されたとされています。

             (別資料では7種類とも言われています)

        毒ガスの製造量  6,616トン

        毒ガスの種類   イペリット

                 ルイサイト

                 青酸ガス

                 ジフェ-ニ-ルシアンアルシン

                 クロロアセトフェノン

 

島は軍の機密保持のため1935年から終戦まで地図から抹殺されてしまいました。

現在は国民休暇村に指定され、何も知らない人々が保養に訪れています。

1931年には北九州小倉に陸軍造兵廠曽根製造所が作られ、

大久野島で生産された毒ガスを充填して砲弾・爆弾・手榴弾など13種類の武器を製造し始めました。

海軍では神奈川県平塚の海軍技術研究所化学研究部や寒川の相模海軍工廠で生産をしました。

その他、朝鮮・台湾・中国・東南アジアにも生産施設はあったようですが、まだよく分かっていません。

軍以外では民間の化学工場(薬品・農薬)が軍需工場として毒ガスを生産して軍に納めていたようです。

 

SCN_0088   大久野島

 

 

 

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