日本の毒ガス戦

毒ガス使用に関する軍の命令書
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最終更新日:2015/06/13 10:15

お年寄りの話を聞きますと、日本陸軍は勇猛果敢で強かったと言います。

しかし中国ではどうもそうではなかったようです。

中国側の抵抗が強く日本軍が負けることがたびたびあったようです。

そこで毒ガスが使用されました。

上海戦で日本軍歩兵が防毒マスクをつけて市街戦をしている珍しい写真がありますが、

陸軍では苦戦を強いられた時、ます敵の陣地に集中的に毒ガス弾を打ち込んで、

それから防毒マスクをつけた歩兵が攻撃し、苦しんでいる敵を証拠隠滅のために殺したのです。

数年前の地下鉄サリン事件を思い出してください。

あの場面で苦しんでいる人の所に防毒マスクをつけた兵隊が来て、一人一人殺すのと同じ事です。

全て証拠を残さないようにしたため写真もあまりありませんが、

多くの戦闘場面で日本軍歩兵が防毒マスクをして戦闘したようです。

 

日本の毒ガスの準備は、将来のソ連やアメリカに対する戦争に備えるものでした。

中国では実用実験の予定でした。

1937年の盧溝橋事変の時にはすでに毒ガスの準備が進んでいたので、どんどん使い始めました・

* 1937年7月27日  臨参命第65号によって化学戦部隊の派遣命令が出る

            28日  臨参命第421号によって、適時催涙筒を使用する許可が出ました

               (注: 臨参、の命は天皇の命令の意味です)

その後続々と

「適時毒ガスを使用する事」「極力毒ガスを使用する事」「毒剤等特殊資材を使用する事」

の命令が次々と出るようになります。

その一方で国際世論やマスコミを気にしていた政府・軍部は秘密保持に努めました。

* 1938年4月11日、大陸指第110号(原文カナ)

         指示

      大陸命第39号及第75号に基き更に左の如く指示す

1 左記範囲に於てあか筒軽迫撃砲用あか弾を使用する事を得

(1) 使用目的  山地帯に蟠居する敵匪の掃蕩戦に使用す

(2) 使用地域  山西省及びこれに隣接する山地地方

(3) 使用法   努めて煙に混用し厳にガス使用の事実を秘匿し、

その痕跡を残さざる如く注意するを要す

(注: バレないように注意しろという命令です)

2 別紙の如くあか弾及びあか筒を交付す

昭和13年4月11日

参謀総長 戴仁親王

北支那方面軍司令官伯爵 寺内寿一殿

駐蒙兵団司令官 蓮沼蕃殿

* 1938年5月2日 大陸指第120号  中支那派遣軍にみどり筒使用許可の指示                        

* 同年5月3日、「特種資材使用に伴う機密保持に関する指示」  北支那方面軍参謀総長の指示

1  ガス資材の筒・収容箱の標記をあらかじめ削除すること (注: 証拠になる表示は消せ

2    使用後のあか筒は蒐集して持ち帰る事 (注: 証拠品を残すな

3    教育には印刷物を使わず、被教育者以外の立ち入りを禁止し、習得事項の口外を禁止すること

                   (注: 印刷物等の証拠を残すな

4    使用の場合、使用地域の敵を為し得る限り殲滅し以って之が証拠を残さざる如く努めること

                   (注: 証拠が残らないようにすべて殺せ

5    住民の居住地域や外部との交通の便利な地点での使用を避けること

                   (注: 目立つ所ではやるな

6    毒がス資材を敵に委せざるを期すること (注:残留物を敵に残すな

7    資材の運搬に現地住民や傭役車馬を利用しないこと

8    毒ガスを使用したとの敵側の宣伝に対しては、毒煙ではなく単なる煙であると宣明すること

                   (注: 普通の煙だといってごまかせ

* 1938年8月6日 大陸指第225号  武漢攻略戦で、あか弾・あか筒使用許可の指示

* 1938年12月2日、大陸指第345号  閑院宮参謀総長から中国戦線の全日本軍宛

在支各軍は特種煙(あか筒・あか弾・みどり筒)を使用することとを得、

但之が使用にあたりては市街地特に第三国居住地を避け、

勉めて煙に混用し厳にガス使用の事実を秘しその痕跡を残さざる如く注意すべし、

特種煙の使用並びに利用に関する部隊の練成は更に一層向上徹底せしむるを要す

*  1939年5月には「きい弾」の使用許可が出ます

大陸指代452号 (原文カナ)

指示

大陸命第241号に基づき更に左の如く指示す

1 北支那方面軍司令官は現占拠地域内の作戦にあたり

   黄剤等の特種資材を使用し其作戦上の価値を研究すべし

2 右研究は左の範囲にて実施するものをす

イ、使用の秘匿に関しては万般の処置を構ず

  特に第三国人に対する被害を絶無ならしむると共に秘匿することに関し遺憾なからしむ     

ロ、支那軍以外の一般支那人に対する被害は極力少なからしむ

ハ、実施は山西省内の僻地に於いて秘匿の為に便利なる局地に限定し

  試験研究の目的を達する最小限とす

ニ、雨下ハ之を行わず

昭和14年5月13日

参謀総長 戴仁親王

北支那方面軍司令官 杉山元殿

 *  1940年の参謀総長の指示(原文カナ)

大陸指第699号

指示

大陸命第439号に基づき左の如く指示す

支那派遣軍総司令官及び南支那方面軍司令官は

左記により特種煙及び特種弾を使用することを得

1 厳に使用の企図及び事実を秘匿す

   特に其の対外影響を慎重に考察し第三国人居住地付近に使用せず

   かつ其の痕跡を残さざる如く注意

2 雨下ハ之を行わず

昭和15年7月23日

参謀総長 戴仁親王

支那派遣軍総司令官 西尾寿造殿

南支那方面総司令官 安藤利吉殿

 

このような秘密命令が何度も出ています。

さらに外務省からも「でっちあげて、中国側が使用したように宣伝すること」という通達が出されています。

そのため、日本国民もマスコミも事実を知らないまま現在に至ったのです。

ただし被害を受けた中国では当然分かっている事ですし、世界中が見ていたのです。

世界中から非難を受けた日本は、それでも戦争末期まで認めようとはしませんでした。

* 1944年7月15日 支那派遣軍当局の声明

皇軍は道徳をかたく守るものであり、

過去においてかかる事実がなかったし、

将来においても敵が毒ガスを用いる事がなければ、

皇軍は絶対に用いるはずがない

 

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